今月は弟のエッセイと今年の1月に体験したミステリーツアー体験談をお届けします。
 実はこの165号の内容は157号として今年の4月に載せるつもりでした。ところが3月11日に東日本大震災が発生しました。その時4月号は完成していたのですが、あの凄まじい地震の直後に、いかにもそぐわない内容です。そのため4月号は大地震についての報告と感想にいたしました。

 今年の12月には「坂の上の雲」第3部が放送されます。3年越しのこの長大な大河ドラマは今年で完結します。弟のエッセイは「坂の上の雲」に関連する内容のため、放送のタイミングに合わせて12月号に載せることにしました。
 主人公の秋山兄弟と正岡子規は私のふるさと愛媛県松山の出身、物語の初期のころには伊予言葉が使われました。エッセイは伊予言葉「だんだん」について調べたものです。第2部が終了したあと、今年の1月に書かれました。

特別寄稿
だんだん             新田自然

 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」を見ていたら、四国松山地方の方言が出ていて懐かしい思いにさせられた。最近のNHKドラマでは方言がきめ細かく指導され、「龍馬伝」でも、土佐言葉、薩摩言葉、長州言葉などがそれぞれのトーンで話され、リアルさを演出していた。
 で、冒頭の伊予言葉は「だんだん」である。ドラマでは秋山真之が子規の妹律に食べものをいただいて「だんだん」と言っていた。この「だんだん」は随所に使用され、やや耳に障ったが、この言葉は、私の祖母は確実に使っていた。ところが、いまはもう廃れてだれも使用しないし、いまどきの伊予の若者に訊いても、分からないと返事が返ってくるだろう。「だんだん」とは「ありがとう」の伊予言葉である。
 と、そう思っていたのであるが、昨年前半に放送された「ゲゲゲの女房」を見ていて、出雲言葉のなかに「だんだん」が出てきておどろいた。同じ感謝の言葉として使われていたのである。出雲と伊予はほとんど行き来もなく、大社詣でくらいの交流しかない。だから同じ方言がどうして使われるようになったか、例によってネットで調べてみた。
 「だんだん」という言葉は、日本国語大辞典によると、天明年間(1781〜1789)のころに京の遊里において始まった挨拶語で、「だんだんありがとう」が全国に広がり、とくに日本海側、中国、四国、九州において方言として定着した。定着するにあたって「だんだんありがとう」が省略され「だんだん」のみで感謝の意を表す言葉となった。
 また「だんだん」には「いろいろ、重ね重ね」というような使い方の地域もあるようで京都に生まれた言葉が、人の交流の過程で、その地方の方言として定着してゆく様はなかなか興味が尽きない。それも京ではとっくに使われなくなった言葉が、地方固有の方言として残っていたことが面白い。
 それは京菜の種が地方に持ち帰られ、その土地の光と水によって育てられ、「野沢菜」「広島菜」というように、個性豊かな地方固有の特産品になっているのとよく似ている。地方の人々によって育てられ、消費されているうち突然変異することだってあるだろうし、そこには長いときの経過もあるだろう。
 またそれは笙、篳篥などのように、中国から渡ってきたものが本国では廃れてしまっていても、わが国では楽器として、いまだに使われているように、オリジナルではないが、いまとなっては我が国の固有の楽器として認知してもよいという例だってある。
 話をもとに戻すが、「だんだん」が主として西日本(一部北陸もあるが)の方言として残り、関東にはなぜ伝わらなかったか、これはもう仮説、推論の世界であるが、江戸言葉の歯切れ良さには「だんだん」といったやや間抜けした響きが合わなかったのかも知れない。江戸には関西文化を受け入れがたいプライドがあったのかも知れない。
  言葉の変化は激しく、伊予言葉でも、つい戦前では使われていた「なもし」もまったく姿を消したし、廃れた言葉がほかにもいっぱいあるに違いない。方言のレッド・データ・ブックが必要かも知れない。

  伊予弁の「なもし」はいずこ漱石忌

ミステリーツアー体験記

 昨年12月ダイレクトメールで「お誕生日の特別企画ミステリーツアー」の案内が届きました。
 私の誕生月は1月です。ミステリーツアーには参加したことがないので、一度行ってみたいと思っていました。値段も手ごろで、妻が誕生祝のプレゼントにしてもいいと賛成してくれたため、その場で衝動買いならぬ2人分の衝動申し込みをしてしまいました。

1.ミステリーツアーとは
 ミステリーツアーとはどんなツアーかネットで検索してみました。以下はウィキペディアからの受け売りです。

 ミステリーツアーには「行先不明のミステリーツアー」と「イベント型のミステリーツアー」の2種類がある。
 「行先不明のミステリーツアー」は、団体旅行に新鮮さ、驚きを与えるためにあえて出発まで目的地を知らせない、または目的地に到着するまで目的地が分からないようにするものである。
 日本の旅行業法に基ずく広告表示規約では募集型企画旅行(いわゆるパッケージツアー)においては
 ・ツアー名に目的地を入れること
 ・募集パンフレットや募集広告には宿泊地を明示すること
 の2点が義務付けられているが、ミステリーツアーのみは、その例外として認められている。
 「イベント型のミステリーツアー」は、旅行先または旅行中の社内における謎解きイベントがセットになったツアーである。
 旅行先に謎解きのためのポイントが設定され旅行客がポイントを巡りながら推理を行うというものと、車中や宿泊するホテル等でミステリー劇を演じる俳優が同行しまるで自分がミステリー劇の登場人物のような気分になりながら旅行を行うというものがある。

 ミステリーツアーは日本の旅行会社が勝手に企画したものと思っていました。何となく姑息な日本人が考えそうなものと思ったからです。そこで念のため英文のヤフーで調べてみました。ところが海外でもやっていました。和製英語ではありませんでした。もしかしたら海外が本家なのかもしれません。
 私達のミステリーツアーは行先不明のミステリーツアーでした。クラブツーリズムの「4食おやつ付弊社Aランクの宿指定『絶景露天風呂とおもてなしの宿 お誕生日高級温泉旅館ミステリーツアー』」という長ったらしいコース名の1泊2日のバスの旅でした。

2.雪の新潟を実感した
 今年の1月は大変寒い日が続きました。連日冬型の天気で、関東地方は乾燥した晴天、日本海側は雪の毎日でした。
 1月26日朝9時、バスは松戸駅前で私達を拾い、目的地に向け出発しました。参加者は44名、ほぼ満席でした。当日は雲ひとつない快晴で、風も弱く絶好の旅行日和です。
 三郷南インターの外環道始点から外環道に乗り、関越自動車道を進みました。
青空の関越道 トンネルを出て雪の新潟県に入る
青空の関越道 トンネルを出て雪の新潟県に入る
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 谷川岳の下を貫いている群馬県と新潟県の県境の関越トンネルを出たとたん、銀世界が広がっていました。まさに「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」の川端康成の「雪国」の世界です。トンネルに入る前の青空とは全く違う別世界が広がっていました。
 湯沢インターで降りて湯沢のレストランで昼食を取り、再び関越自動車道に戻って三条燕インターまで走りました。途中観光のため弥彦神社など2ヶ所に立ち寄り、夕暮せまるころ湯田上温泉のホテル小柳に到着しました。ずっと雪景色の中を降雪を見ながらの道中でした。
湯田上温泉ホテル小柳中庭のかまくら
湯田上温泉ホテル小柳中庭のかまくら
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 ホテルのレストランの窓の外に巨大なかまくらができていました。高さ3メートルはあるでしょう。宿泊客を歓迎するためホテルの従業員が作ったのだそうです。
 雪は一晩中降ったようです。朝起きてみると新雪がかなり積もっていました。30センチくらい積もったようです。朝露天風呂から見るとブルドーザーが道路の雪を取り除いていました。バスの窓からも、いたるところで雪かきをしている人が見えました。おそらく毎朝雪かきをするのでしょう。屋根の雪下ろしも見ました。大変な労力です。小学生が雪で高くなった歩道を集団で下校していましたが、中には転んでいる子供もいました。
 テレビでは例年の3倍も積もったところもあると報じていました。年間の除雪予算を使い切ったところもあるようです。何かを生産したり、サービスしたりするためでなく、単に雪を処分するためにお金と労力を使うのは、自然の定めとは言え、かなりしんどいのではないかと感じました。
瓢湖の白鳥とカモ類 雪の弥彦神社
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 帰りは瓢湖や阿賀野川の川下りなど5ヶ所を観光しました。瓢湖は白鳥の飛来地として有名なところです。約3300羽の白鳥がはねを休めていました。阿賀野川では雪がその日のうちでも最も激しく降っていましたが、船頭は雪が降るのはお客さんが喜んでくれると自慢げでした。帰りは磐越自動車道、東北自動車道経由で松戸に戻りました。2日間の走行距離は約850キロ、あの雪の中をよく走ったものです。
 帰りの道も日本の天候の違いをこれでもかと思い知らされました。湯田上温泉のホテルを出るときから降っていた雪は磐越自動車道の途中まで降り続きました。磐越自動車道は越後山脈の下をいくつかのトンネルでくぐります。それらのトンネルを抜けるまで雪は激しく降っていました。
 会津若松で一度高速道を降りたときは雪は止んでいました。しかし積雪はかなりあり、猪苗代湖をすぎて磐梯熱海インターあたりまで、新潟の半分くらいの積雪が残っていました。猪苗代湖と磐梯熱海の間には1000メートルを越える山が横たわっており、そこが雪の2つ目の関所になっているようでした。
 郡山の東北自動車道のジャンクションに来ると積雪はほとんどなく、東北道に乗ったとき、西の空の夕焼けが目に飛び込んできました。
 あまりにも鮮やかな日本の空の変身に思わず驚きの声が出た次第です。

3.ミステリーツアーの面白さ
 申し込んだあと、旅行会社から送られてきた行程表には、2日ともバスの出発時刻と到着予定時刻、「とある温泉」の「とある宿」としか出ていません。通常の旅行なら立ち寄る観光地や昼食の場所等が出ていますが、場所が分かるような言葉は全て伏せられていました。
 出発の前日に添乗員から確認の電話が入ったとき、教えてくれたのは目的地の天気は雪で最高気温は5度くらい、寒さ対策を充分にということだけでした。その日千葉県の気温は最高気温8度でしたので、分厚いコートを持って行くことにしました。
 携帯電話の普及していない頃は、家族に連絡する必要がある人には、当日集合場所で例外的に行先を明かされたこともあったようですが、いまはほとんどの人が携帯電話を持っています。例外はありません。
 雪ということなので行先は東北地方か信越方面と予想しました。パンフレットに温泉の写真が載っていましたが、どこにでもある風景でした。
 初日はバスの座席が入り口側の一番前でした。これが幸運にもミステリーツアーの醍醐味を充分に味わわせてくれました。
 三郷南インターから外環道に乗ると、まもなく常盤道とのジャンクションです。10分後には東北道とのジャンクションでした。ジャンクションに入らないと1つずつ行先の可能性が消えます。東北地方はないと考えました。一番前の席に座るとこんなことがリアルタイムで分かるのです。
 関越道から中央道につながる鶴ヶ島ジャンクションを直進し、上信越自動車道につながる藤岡ジャンクションも直進したため、上信越地方がなくなり、北陸自動車道につながる長岡ジャンクションも直進して北陸地方が消えました。三条燕インターで関越自動車道を降りたあとは、一般道をどちらに進むかで、どこが最終目的地かを地図を見ながら推理しました。高速道のサービスエリアにおいてあるロードマップには温泉地がすべて出ています。そしてまもなく目的地といわれたとき、湯田上温泉を当てることができました。
 2日目は逆に一番後ろの席となったため、道路標識を読むことができません。途中の観光地を推理することをやめて、もっぱら雪の降りかたや積雪の状態をチェックしていました。
 湯田上温泉の名前は今回初めて知りました。おそらく、目的地を湯田上温泉としてツアーを募集してもあまり人は集まらないのではないでしょうか。ホテル小柳は「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選のもてなし部門」に入っている旅館とのことで、快適な旅館でしたが、温泉地のネームバリューがないため、ミステリーツアーに活路を見出しているのではないかと感じました。旅行会社とホテルの利害が一致したのでしょう。
 ミステリーツアーの欠点としては、宿も観光地も事前にわからないため、見物や買物の予定が立たないことです。女性には大きな問題のようです。
 また今回は一番前の席でスリルが楽しめましたが、そんな幸運はめったに期待できません。次回は目的地を選べるツアーにしようと思っています。

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