今年もよろしくお願いいたします

 元会社の仲間で手賀沼通信読者の小宅信吾さんより、スイスアルプス旅行記をいただきました。 新春号にふさわしいさわやかな旅行記と美しい写真です。
 「グラウンドゴルフのすすめ」は高齢者のスポーツとして人気のあるグラウンドゴルフについてまとめてみました。

特別寄稿
スイス・アルプス旅行記―2011年夏
            小宅信吾


出発
 初夏、6月27日から7月6日まで10日間、夫婦でスイス・アルプスを旅した。
 70歳代にもなると旅には健康上の不安がつきまとう。今回、その一つは12時間も飛行機のエコノミー席に座っていられるだろうかと言うこと、しかし今年1月に無事スペインに行くことができたので先ずは大丈夫であろう。二つ目の不安は高山病である。3,842mの展望台にロープウエイで一気に上がるので高山病は大丈夫かということ。旅行会社のガイドブックには不安のある人は十分に医者と相談せよと書いている。しかし何を相談せよと言うのかよく分からないのでそのまま出発となった。
(AirBus380-800)
(AirBus380-800)
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 出発の日は朝3時に目が覚めてしまった。旅の時はいつもこうだ。身体のどこかの神経が興奮していて目が覚めてしまうのだ。前夜、早めに床に入ったが中々寝付けず、2時間眠って目が覚め、それから3時間眠ってまた目が覚めて3時だったのだ。
 4時半に自宅を出発、成田空港の民間駐車場まで自家用車を運転した。途中、幕張SAで暫らくは食えないであろうから日本名物「かき揚げうどん(450円)」を食った。成田空港の決められた集合場所には定刻の7時半に着いた。ここで航空券などを受け取り必要な手続きを終えて、9時前にはゲートにて搭乗開始を待った。

 9時20分、AirBus380-800は定刻通り出発した。フランクフルトまで11時間余の飛行である。今年1月のスペイン旅行もこの飛行機だったので何となく懐かしい。フランクフルトには現地時間14時30分頃到着、ここで4時間待ってスイス・チューリッヒに飛んだ。チューリッヒ着は19時20分。 バスに乗ってそのままサンモリッツに向かう強行軍だ。これが4時間ほど掛かった。しかも夜の山岳道路で悪路の連続だった。かなり疲れてホテルにチェックインしたのは夜中0時。ホテルはサンジャン(SAN GIAN)と言い比較的新しい小さなホテルである。

 ぬるめの湯(熱い湯が出なかった。皆が一斉に湯を出したからであろう)に浸かりそれから就寝した。疲れている筈だが3時間程眠って目が覚めた。それからまた朝まで眠った。

サンモリッツ
 ホテル前から路線バスでサンモリッツ駅に行き、スイスの有名な鉄道・氷河特急ベルニア線に乗り換えディアボレッツア駅まで行った。そしてここでロープウエイに乗り一気に展望台(2,943m)へ上がった。すると眼前にピッツ・ベルニナ(4,049m)を中心としたベルニア山峰が拡がった。
(ベルニナ山群−4,000m)
(ベルニナ山群−4,000m)
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 山岳ヒュッテ・ディアボレッツアの中にあるレストランで山の景色を眺めながら昼食をとり下山。再び氷河特急でサンモリッツに戻り、今度は別のロープウエイでピッツ・ネイル(3,030m)に上った。サンモリッツを見下ろすアイベックス(山羊)の彫像で有名な山だ。
 夕食はサンモリッツ駅近くのレストランで摂った。隣のテーブルには老婦人が一人で食事をしている。既に伴侶は亡くしたのであろうか、もの寂びし気な風情も漂っているが、柔和な表情で我々日本人団体客の言動を興味深そうに見て楽しんでいる。その隣にはこれまたひと組の老夫婦が食事を楽しんでいた。

アルプスの少女・ハイジ
 今日はサンモリッツを離れる日だ。バスでマインフェルトのハイジ村に行った。ハイジは我々の世代にとっては懐かしい語感がある。子どもたちをハイジのアニメで育てた記憶が残っているからだ。ところが、スイス人にとってはそうでもないらしい。日本人がハイジ、ハイジと騒ぎ立てるから、仕方なくこの施設を作ったというのがスイスの本音らしい。
(ヴェンゲン駅―滝が絶壁から落ちている)
(ヴェンゲン駅―滝が絶壁から落ちている)
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 帰国してもう一度アニメ作品「アルプスの少女・ハイジ」を見てみた。結構面白かった。スイス・アルプスの山に暮らす少女ハイジの雰囲気がこのマインフェルトの景色にぴったりと一致する。
 それからベルンに行った。ベルンは中世の街並みがそのまま残っている。これは第二次世界大戦の爆撃を受けなかったからであり、即ち、スイスが中立国だったからである。アインシュタインもベルンに住んでいたそうだ。
 それから今日の宿泊地・ヴェンゲンに行った。ヴェンゲンは日本の軽井沢のごとく、落ち着いた雰囲気で美しい街だ。この日、街は小雨降る霧の中に静かに佇んでいた。ヴェンゲンは車乗り入れ禁止、それでバスはラウタ―ブルネンで下り、電車に乗り換えヴェンゲン駅に到着した。

ヴェンゲンースイスの軽井沢
 ヴェンゲンの宿泊ホテルはベルべデ―レ(VELVEDERE)と言い、古い瀟洒なホテルである。朝目が覚めて、窓から外を見ると山の頂上付近に霧がかかり小雨も降っている。ツアー・グループの予定では今日はオプショナル・ツアー日でユングフラウヨッホ(3,454m)に登山列車で上ることになっている。しかし、私は既に40代の頃ユングフラウヨッホには上った経験があるので、これはパスして自由行動の日とし、メンリッヒ山(2,225m)にロープウエイで上がり、そこからクライネシャイデックまでハイキングすることにした。
 9時過ぎにホテルを出発した。先ずヴェンゲン駅近くのスーパー(COOP)に行って、水とチョコレートを購入した。それからロープウエイ乗り場に向かったが、かなり寒い。それで再び、ホテルに帰り着衣を余分に着込んだ。
 ロープウエイに乗ったのは10時頃、満員である。乗車中、スイス人から福島の大震災・原発事故のことを随分訊かれた。皆心配してくれているようだった。
 10分程で頂上に到着。深い霧が立ち込めている。道路標識は辛うじて読める。スイス人の団体客も一緒だったので、これに付いていけばクライネシャイデックまで行ける筈だと考えた。ところが数分もしないうちに団体客は全員、レストランに入ってしまった。残ったのは私たち夫婦と若い女性ひとりきりだった。この女性は上海出身でパリ大学の1年生、彼女も深い霧の中で心細そうである。それで三人でクライネシャイデックに向かうことになった。彼女は大学で生物学を専攻していると言う。
(霧のクライネシャイデック近辺)
(霧のクライネシャイデック近辺)
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 本来、この道はユングフラウ・アイガー・メンヒなど絶景を楽しみながら行くハイキング・コースであるが、今日はただ霧、何も見えない。私は霧の中を路傍の花の写真を撮りながら歩いた。
 1時間40分掛かってやっとクライネシャイデック駅に到着。深い霧は未だ晴れず、ここからヴェンゲンまで更に歩くコースもあるのだが、ハイキングは此処で切り上げ登山列車に乗ってヴェンゲンのホテルに帰った。
 その後はヴェンゲンの街を散歩しながら土産(Army Knife:19.98スイス・フランなど)を買った。

シーニゲプラッテ高山植物園
 今日はシーニゲプラッテ高山植物園に行った。これはヴェンゲン駅からビルダーズビル駅に行き、そこか
(シーニゲプラッテ高山植物園)
(シーニゲプラッテ高山植物園)
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らシーニゲプラッテ鉄道に乗り50分ほど掛けて山の頂上に行く。高山植物園は山の頂上の自然の地形を生かして造られているのだ。天気がよければユングフラウ・アイガー・メンヒが良く見える筈だ。ところが生憎、今日は雲が厚く、雲の合間に時々この三峰が姿を見せるという状況である。
 それから車の難所と言われるグリムゼル峠を越え、サ―スフエ―に行きミシャベルアルプス(モンテローザ山群)を見た。それからテーシュまで行き、やっぱりここで列車に乗り換えツエルマット駅に到着した。駅を出て背後を振り返ると、夕陽に映えたマッターホルンが輝いていた。ツエルマットはマッターホルンの街だ。ホテルはミラボー(MIRABEAU)、部屋からもマッターホルンが良く見えた。

マッターホルン
 今日はケーブル・カーでスネガ・パラダイス(2,288m)に上って一日中、マッターホルンを見て暮した。ケーブル・カーを下りて左に少し下ると、ライザー湖がある。この湖越しにマッターホルンを見ると、風がなければ逆さマッターホルンが湖面に映る。この日も運良く風なく快晴だ。山と湖は良く似合う。
(ライザー湖から眺めるマッターホルン)
(ライザー湖から眺めるマッターホルン)
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 帰りはツエルマットまでハイキングで下山を開始したが途中、道を間違って1時間半後に気付き再びスネガ・パラダイスまで引き返した。結局、その後は疲れたので草地の上に座り込んで一時間以上形の良いこの山を見続けて厭きることがなかった。背景の雲の形が絶えず変わるのが面白かった。午後3時頃、ハイキングは止めてケーブル・カーで下山した。
 ツエルマットの街は夏季シーズンを迎えて賑わっていた。パン屋により夕食用にサンドイッチを買った。更に、ハイキング用にカーボン・ストック(KOMPERDELL社製)を100スイスフランで買った。これは誠に軽くて使いやすい。プロテクターを付けると街歩きにも使える。

モンブラン(4,810m)−地球と歳月が造った並外れた創造物
 その後、レマン湖を経てモントルー・シオン城・ワイン醸造のラヴォー地区などを見物してシャモ二−・モンブランに来た。ここはフランスである。従って通貨はユーロ、但しスイス・フランは紙幣に限って使えた。
(モンブラン)
(モンブラン)
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 翌日午前中にモンブラン展望台:エギュー・ド・ミディ(3,842m)にケーブル・カーで上った。高山病の心配もしていたのだが何ともなかった。大声を出したり、走ると息切れするようだ。西ヨーロッパ最高峰モンブラン(4,810m)を真近かに眺めた。よくもこんな絶壁の上に展望台を造ったものだと感心した。富士山より200mも高いところに一気に上がって来たわけだ。
 ある登山家がモンブランを「地球と歳月が造った並外れた創造物」と定義したそうだ。
 翌日、ジュネーブまでバスで行き、フランクフルトを経由して日本に戻った。日本には朝、7時40分に着いた。

グラウンドゴルフのすすめ

 私は週1回千葉県柏市のあかね緑地公園でグラウンドゴルフを楽しんでいます。千葉県生涯大学の卒業生を中心としたグラウンドゴルフ同好会「ゆうあい倶楽部」には35名のメンバーがいます。全員65歳以上、平均年齢は70歳をはるかに超えていますが、グラウンドゴルフのおかげで皆さん元気はつらつ、病気とは縁のない人たちばかりです。
 グラウンドゴルフは昭和57年に鳥取県東伯郡泊村生涯スポーツ活動推進事業の一環として、泊村教育委員会が中心になり考案されたものです。昭和58年7月に日本グラウンドゴルフ協会が発足しました。ここまで盛んになるとはだれも予想しなかったのではないでしょうか。
 グラウンドゴルフはゴルフのパッティングに似ています。野球のボールを一回り小さくしたプラスティックのボールを、木製の専用のクラブで、針金状のワイアで作ったホールポストにホールインするまでの打数を競う競技です。ゴルフと同様に打数が少ない人が勝ちます。ボールが大きいため飛ぶことはなく転がってポストに入ります。
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 クラブはゴルフと違い、1本だけ用意すれば足ります。専用のゴルフ場は要りません。運動場、野球場、河川敷、公園、広場など一定の広さがあれば、競技場に変わります。ホールポストとスタート板を置いてホールが出来上がります。
 ホールは8ホールで、スタート位置からホールポストまでの距離が、50m、30m、25m、15m各2ホールずつというのが正式のコースです。どのホールもパー3です。8ホールを1回まわれば、パー24となります。通常は8ホールを4回まわって、ゲームを終了します。だいたい2時間くらいかかります。ホールインワンの場合は合計のスコアから3打引きます。
 ゆうあい倶楽部の年1回の大会では距離を測りますが、あかね緑地公園の例会では目分量でホールポストを設置しています。同じ場所で毎週やっていると、学習効果でホールインワンが量産されます。1日に5回ホールインワンを出したという人も何人か出ています。
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