手賀沼通信は体調悪化のため今月から不定期刊行とさせていただくようお知らせしましたが、9月号をお送りしたメールで読者の方のご寄稿をお願いしたところ、小宅さんがご投稿くださいました。そのため休むことなく11月号を出すことになりました。ありがとうございました。
 せっかくのご寄稿を無駄にしないために、私の今回の体調不良の顛末を書いてみました。個人的なことを書くのは恥ずかしいことですが、ひょっとしたら皆様のご参考になるかもしれません。
 今年で後期高齢者になりました。この歳になるといつ何時、何があってもおかしくない年齢です。
 今回の体調不良もその表れと考えています。

 今後とも皆様のご寄稿をお待ちしております。

 挿入したのは手賀沼の写真です。



特別寄稿
中国古典二題 その1 あの世とこの世    小宅信吾


 孔子が(えい)の国に行く道すがら、林類(りんるい)と言う百歳に近い老人が古田の畔道(あぜみち)で落ち穂を拾いながら楽しそうに歌を歌って歩いているのに出会った。
 「あの老人は話しの分かりそうなご仁だ。行って話しかけてみなさい」と孔子が弟子たちに言った。子貢がかって出て、田んぼの外れで老人を待ち構え溜め息混じりに話しかけた。
 「あなたはわが身を悔やまれたことはないのですか。そんなお年を召しながら落ち穂拾いなどなさっていて・・」
 林類は平然として落ち穂拾いの足も止めず、歌うのも止めようとしない。
 子貢は問い続けた。
 「あなたはお若い頃修行に身を入れず、ご年輩になっても立身出世を競われずお年を召して妻子もなく、ご寿命もやがて尽きようというのではありませんか。それなのにいったい何が楽しくて落ち穂を拾いながら歌など歌っておられるのですか」
 林類は笑って答えた。
 「わしが楽しみにしていることは誰の身にもちゃんとあるのに、人はかえってそれを心配の種にしておるのじゃ。わしは若いころ修行に身を入れず、年輩になっても立身出世を競わなんだからこそ今までこのように長生きできたんじゃし、年をとって妻子もなく死ぬる時もやがて近づいたからこそ、この様に楽しいんじゃよ」
 「長生きは誰も望むところ、死ぬことは誰も忌み嫌うことではありませんか。あなたが死ぬことは楽しいと言われるのはどういうわけなのです?」
 「死ぬことと生まれることは往ったり来たりで同じことさ。してみればこの世で死ぬことはあの世に生まれることかも知れん。どっちがましか知れたもんじゃない。あくせくして生きていようとするのが迷いというものかも知れんし、今死ぬことの方が今まで生きていたことよりましかも知れんじゃないか」
 孔子は子貢の話を聞いて言った。
 「人は誰でも生きることの楽しさばかりを思って苦しみの方は考えず、年をとれば身体が弱り疲れることだけを知って、(死の)気安さは思ってみようともしない。死ぬのは嫌なことだとばかり決めこんで、それが憩いの場所であることは知らないでいるのさ」
 (列子 天瑞編)



その2 死ぬ時は成り行きまかせ    小宅信吾

 弟子の孟孫(もうそん)(よう)楊子(ようし)に尋ねた。
「今、或る人が生を貴いと思い、自分の身体を大切にして不死を期待したとすればそれはかなえられるでしょうか?」
「それはかなえられない」
「では、長生きを期待したとすれば、それはかなえられるでしょうか?」
「それもかなえられない。生は貴んだとて得られるものでなく、身体を大切にしたとて丈夫になれるものではない。それに、長生きしてどうしようと言うのだ。人間の五情の働きは昔も今も変わらないのだ。身体の安危(あんき)も世の中の苦楽も、変化治乱も皆、昔も今も変わらない。それらのことは既に我々は耳にし、目にし、経験してきたことだ。とすれば、百年の寿命ですら長過ぎる。この上、長生きして更に苦しみを重ねるのはごめんだ」
「そうだとすれば長生きするより、早く死ぬ方がましだと言うことになりますが、それなら白刃に身をさらし、熱湯や火の中にでも飛び込めば望みが達せられるということになりませんか?」
すると楊子は答えた。
「いや、そうではない。人間として生まれたからにはそのままにして成り行きまかせ、やりたいことを勝手にやって死を待つべきだ。いよいよ死ぬとなったら、そのままにしてまた成り行きまかせ、とことんまで行って死ねばよい。いずれにしてもそのままにして成り行きまかせにしておけば、何もことさら長生きしようとか早く死のうとか考える必要もない」(楊朱篇)

 楊朱;生没年未詳、中国前370頃 - 前319頃の思想家



しびれと背中の痛みに悩まされる

1.体調が悪くなり始める
 今回の体調の変化の前までもいくつかの持病がありました。
 高血圧は20年ほど前からで、ホームドクターの竹内医院から降圧剤を調剤してもらっています。なお、竹内医院は、我が家から歩いて1分、何でも相談できる患者から大変頼りにされている経験豊富なホームドクターです。
 境界型と言われた糖尿病は現役時代からで、数年前からは、新東京病院で血液サラサラの薬と一緒に糖尿病の薬をいただいています。血液サラサラの薬は7年前に心臓に新東京病院でステントを入れてから飲んでいます。
 しかしどの持病も自覚症状はなく、自分では極めて健康と考えて毎日の生活を楽しんでいました。
 ところが今年の6月中ごろから胸と背中が痛むようになりました。6月末ころからは左手がしびれるようになりました。左の脇の下から指先まで左手全体です。背中の痛みも続いていました。
 7月はじめには足のしびれが出ました。両足のすね、両足首、両足甲がしびれ、両足裏に違和感がありました。

2.北欧旅行への不安
 7月10日から18日まで9日間の北欧旅行のツアーに妻と参加する予定になっていました。旅行中に体調が急変すると大変です。以前手賀沼通信にも書きましたが、2001年に台湾旅行中に排尿がストップして大変な苦しみを味わいました。
 前立腺肥大のため排尿できなくなったのです。旅行最終日だったため、なんとか我慢しながら帰国でき、ほかの人に迷惑をかけることはありませんでした。地元の病院に即入院しましたが、もう少しで膀胱が破裂するところだったと言われました。
 もし旅行中に体調を崩した場合、本人が苦しむだけでなく、同行の妻や添乗員や旅行仲間に迷惑がかかります。ツアーと別行動をとらざるを得ない時は別料金となり金銭的にも大変です。
 キャンセルも考えましたが、旅行開始1ヵ月前を過ぎていたので、キャンセル料が20%かかります。それにキャンセルすると妻を悲しませることになります。
 7月2日、竹内医師に旅行に行けるかどうか相談しました。竹内医師はほぼ同年令、海外旅行が大好きな方で、旅行中に体調を崩されたり、逆に医師としてツアーのメンバーが体調を崩したとき頼りにされた経験も持っていました。
 今の状態なら十分準備すれば旅行は大丈夫と言われました。毎日飲んでいる薬のほかに、痛み止め、安定剤、胃の薬、心臓に張り付けるフランドルテープなどを用意しました。
 服装にも気を使いました。日本と違って緯度が高いため、夏とはいえ朝夕はかなり冷えると聞いていました。インターネットで現地の天候と気温を調べ、船でのフィヨルド見物に備えて薄いコートを用意しました。
 7月10日からの北欧旅行中は旅行に集中していたため、しびれと痛みを忘れていました。痛み止めと安定剤のデパスを毎日飲んでいましたが、それよりも旅行の楽しさが、忘れさせてくれたのだと思います。天候はあまりよくなかったのですが、北欧の涼しさも体に良かったのでしょう。
 7月18日、成田に着いたとたん、日本の暑さを実感させられ、しびれと戦う夏が始まりました。

3.生活が変わる
 しびれと背中の痛みが始まって、毎日の生活のパターンが変わりました。
 毎年、夏の間は朝5時台に早朝散歩をしていました。日中は暑くて散歩どころではないからです。今年は7月に入って早朝散歩を3日ほどした後やめました。朝歩く気力がなくなったからです。
 また、平日の朝、ラジオで1時間15分ほど、外国語講座を聞いていたのですが、それも気力が薄れてやめてしまいました。
 趣味の民謡のけいこや民謡大会も休みました。民謡で高齢者施設を訪問するボランティアも欠席しました。唄う気分にならなかったからです。
 グラウンドゴルフは7月は体調不良を押して参加しましたが、その後の例会を休みました。
 グラウンドゴルフの会と高校の同窓会の世話役を迷惑がかからないように仲間に交代してもらいました。会のお金を預かっていたからです。
 いくつかの暑気払い、大学や高校や元の会社の飲み会や会合はすべて欠席しました。
 北欧旅行から戻ってからは、毎日暑い日が続いたせいもありましたが、病院に行く以外はほとんど外出せず、テレビと読書の毎日でした。
 続けたのは、週1回の防犯パトロールだけでした。9月からは1年生の孫のグループの下校の見送りと週1回の下校見守りを再開しました。
 自分の楽しみでやることは気分が乗りませんでしたが、義務でやることは気分転換になりました。

4.しびれと背中の痛みの犯人探し
 北欧旅行から帰って、しびれと背中の痛みの原因追求を始めました。
 竹内医院に紹介状を書いてもらい、我が家から一番近い柏の慈恵医大病院の脳神経外科に行きました。紹介状を書いていただくとき、整形外科にするかどうか迷いましたが、
・手足のしびれ
・背中が痛む
・頭が重い
 などの症状があったので、脳神経外科にしました。
 8月9日首のMRIをとってもらいましたが異状なしでした。翌日全身のアイソトープの検査を受けました。
 その結果を聞いたのは8月28日でした。結果は特に異状はなく、脳神経外科ではしびれの原因はわからないとのことでした。
 症状は続いていました。竹内医院に無理をお願いして、柏の名戸ヶ谷病院の脳神経外科に紹介状を書いてもらい、9月4日に頭のMRI検査と血管の老化現象を調べる検査を受けました。そこでも異常は見つからず、脳神経外科の先生から整形外科を紹介してくれました。
 整形外科では首と腰のレントゲンをとり、1週間後には腰のMRIをとりました。
 整形外科の先生はとても親切で、写真を見せながら丁寧に説明をしてくれました。頸椎に狭窄部分があり、手足のしびれはそれが原因かもしれないとのことでした。慈恵医大の診断とは違います。
 足のしびれは、腰椎に狭窄部分があるのでそれが原因らしいとのことでした。
 竹内医院からは千葉西総合病院の神経内科の紹介状もいただいていたので、9月18日我が家から1時間ほどかかる千葉西病院に行きました。
 どの病院も混んでいましたが、特にこの病院は混んでいて、7時過ぎに病院に着いて、診察を受けたのは11時ころでした。
 そこでは特に検査はせず、触診や持参した名戸ヶ谷病院の写真のコピーを見て、頸椎と腰椎の異常だろうとのことでした。
 原因はやっとつかめた感じですが、特に治療方法は指示されませんでした。おそらく治療方法はないのでしょう。
 名戸ヶ谷病院と千葉西病院で薬をいただきましたが、根本的に治す薬ではないようです。
 ところが背中の痛みの方は原因が分かりません。再度名戸ヶ谷病院の整形外科に行ったところ、背中のレントゲン写真とCT撮影と超音波検査を受けました。それでも原因は不明でした。

 3か所の病院の5つの科を回って、病院や先生によって対応の違いがあるのを感じました。
 どの病院に行く時も、病気の症状、それまでの経過や検査の結果、飲んでいる薬、今まで受けた手術などを、2〜3ページにまとめ持参しました。また、新東京病院で3カ月ごとに受けた血液検査を表にしたものも持参しました。
 どの病院も混んでいましたが、一応読んでくださる先生とほとんど見ない先生といろいろでした。こちらの話を聞いてくれる先生と聞き流す先生の違いもありました。
 どの病院でも感じたのは、今の先生は病人の体を見るより、パソコンのデータを見るのに懸命ということでした。視線は患者でなくパソコンや映像にありました。
 紹介状に対する返事をパソコンに打ち込むのに懸命で、私への説明がなかった先生もいました。

5.覚悟を決める
 しびれは毎日続いています。背中の痛みもとれません。5年先か、10年先か知りませんが、恐らく死ぬまで背負っていかなくてはならないのでしょう。
 今では覚悟を決めています。しびれをとる療法を、漢方や体操や鍼灸治療を含めて気長に探そうと思っています。
 同じような年齢の人で、痛みを抱えている人もいます。がんと闘っている人もいます。難病に苦しんでいる人もいます。その方々に比べれば軽いかもしれません。それにしてもきついです。
 とりあえずは、対症療法で痛みやしびれを抑えながら、治療法を探りたいと考えています。そしてマイペースでできることをやり、残された人生を楽しみたいと思っています。グラウンドゴルフや民謡も再開するつもりです。


inserted by FC2 system