手賀沼通信第180号に弟の「老後をどう生きるか ひとつの選択」のエッセイを載せました。それに対して読者の方からご意見ご感想をお寄せいただきました。ありがとうございました。
 ここでいただいたご意見ご感想のすべてをご紹介させていただきます。できるだけそのまま載せさせていただいておりますが、ページ数の関係で一部省略させていただきました。お許しください。
 女性の方から頂いた1通の封書以外は、すべて男性からのメールです。到着順にご紹介させていただきます。4ページでは収まりきらなかったので6ページにいたしました。

「老後をどう生きるか ひとつの選択」に対するご意見ご感想

 私も2007年に妻を亡くしました。よい面とわるい面があります。
 悪い面は料理、洗濯、掃除などの日常生活が不自由になったことです。良い面は時間と金を自分の思う通りに使えることです。
 海外旅行は、アジア、中国、台湾中心によくでかけます。2008年4回、2009年5回、2010年4回、2011年3回、2012年3回、2013年2月(台湾一周)、6月アンコールワット予定。
1930年生まれですが、おかげさまで、元気にしています。好きなことをしていきたいと考えています。
(男性、1930年生まれ)

 身につまされて読みました。社会から隠棲して以来時が経つにつれ、生活実権は完全に妻の掌握するところとなり、私は攻守所を変えて今や完全な被扶養者的存在となりました。現役時代からも妻に対し協力的とはお義理にもいいかねる私でしたが、今となっては、永い間苦労もかけたわけだしここは家内の好きなようにさせておくかという腹積もりもあり、生活無能力者然として生きている次第です。
 どのようなご縁があったのか、互いに認め合うことのできる異性に出遭えることはやはり素晴らしいことだと思います。人の一生は所詮は出会いと別離に尽きるわけですから。・・・しかし血縁者からの異議などなかったのでしょうか。巷間では相続問題が絡みなかなか利害関係者の賛同が得られ難いとも聞いておりますが。
 このうえは平穏な共同生活が永く継続されるようお祈りしたいと思うばかりです。人は孤独には弱く堪えられない性質なのですから。
(男性、60歳代または70歳代)

 新しい伴侶を得られたということは全く正しいし、幸運な方だと考えます。奥様もそれを望んでおられ、喜ばれているでしょう。
 年老いてからの新しい伴侶との付き合いには欲得がない何よりも自然な感じが良いのだと思います。その点、理に適っています。
(男性、70歳代)

 弟さんの再婚の話は、読んでいて嬉しくなりました。中にはとやかく言う人も居るでしょうが私は肯定派です。本人同士が満たされているという点が何よりも素晴らしいですね。
 私自身は3歳年上の家内が循環器系の不具合を抱える血統で、普段ニトログリセリンを持ち歩いている程なのでいつも不安です。家内の父親と二人の姉がいずれも心臓の病で他界しているので、多分私はひとりで残されるのではないかとの予感もあります。
 我が家は長男が事故で亡くなり長女と次男には共に子供がいないので、家内が存命しているにも関わらず、いずれ孫無しでひとりで生きてゆくのか・・・などと侘しくなることがあります。
 親孝行のための月例帰省中に91歳の老母にそんな愚痴をこぼしたら、お前の老後は私が面倒見てやると言われて妹夫婦と大笑いしたことがあります。そうなった場合、私も弟さんのような出会いに恵まれたいものです。普段からのこころがけでしょうかね?
(男性、69歳)

 生きて居ると言う事は昨日があって、今日があり、そして明日も迎えられそうと、希望があって、家族と共に最高の幸せを感じて居る処です。私共も何処も何ともない訳には行きませんし、日付変更線は確実に目の前に迫って来て居ますが、妻と助け合って毎日暮らして居ます。
 弟さんの再婚は大賛成です。皆夫々の立場もあって、全員異議なしとは行きませんが、お子さん方、ご兄弟姉妹が賛成なら、大変結構でしょう。新しい家族が増えて、新しい付き合いが生じ、これが又々新鮮な生活が始まるでしょう。若しそうでなければ淋しい人生を送り、多分、天寿を全う出来ず、早目に孤独死する処です。
 弟さんも気の合うパートナーが見つかって大変良かったです。周囲の新しい家族・親族とも良い関係を維持して行くのは大変ですが、大事な仕事です。元気で頑張って下さい。
(男性、80歳代、2人暮らし)

 私はこれを読んで、筆者はすばらしいチャンスをつかまれたと思います。
 長く生きてくると、自分なりの人生観、生活方法などで拘りができて、新たに他人を受け入れる余地が若い人ほど広くなくなると思います。それに対して、自分だけでなく、相手を含めて、一緒に生活をしようと思いが一致したのですから、稀有といえば大げさですが、得難いチャンスだったと思います。
 ただ、当人たちはともかく、子供達を含めた当人たちの親族の反応や影響はどうだったのでしょうか。これは老年になっての再婚を阻害する大きな要因だと思います。大資産家ではないにしろ、普通の人でも老年になればそれなりの資産があり、また、その資産はそれなりに親族たちから期待されていると思います。本人は自分一人で頑張ったと言い張っても、子供達はなにかと親への気遣いをしてきたのではないでしょうか。それが、最近になって知り合った他人にそっくり渡ってしまうのは、何となくふに落ちないと考えるでしょう。
 そんなことを考えると、お互いに籍を入れないのが一番良いのではと思います。単なる同居では世間体がどうこうとうるさいのかもしれませんが、もう老年なのだから、多少の世間体など気にせず、気楽に暮らせばよいのではと思います。
 こんなことを感じました。
(男性、60歳代)

私の感想をお送りさせて頂きます。
1.弟さんは、奥様を亡くされて後、暫くは喪失感・孤独感に苛まれたとのこと。気持ちは大変良く分かりますし、お辛い日々であったろうと思います。
 しかし、偶々息の合う女性と知り合い、一緒に住むことになったとのこと、これで寂しさも少しは薄れることと思い、ご同慶の至りとおもいます。
2.翻って、もしも仮に私が家内に先立たれてしまった時、新たな女性と一緒になれるかと考えると、今更別の女性と生活することなど、とても面倒で独りで生活した方が気楽でいいなと思っています。
 勿論、現実の話ではなく仮定の話ですので、切迫感はありませんし切実感もないため、そんな気楽なことを言っているかもしれませんが・・・
3.むしろ、今私が切実に考えているのは、もしもがんなどの重篤な病に罹ったとき、治療をどうするかという問題です。
4.私の職場の同期生が、昨年秋・今年の年初に亡くなりました。また、今年になって同じ職場の先輩や後輩の訃報が相次ぎました。
 だんだん、私にもそういう時期が近づいてきているなとの思いが強くなりました。そうして、自分として人生のエンディングをどうしたら良いかを真剣に考える時期にきているなと思いました。
5.最近話題になっている本「大往生するなら治療にかかわるな」「どうせ死ぬならがんがいい」という本を読んで、生殖期を過ぎた我々老人はがんになっても、QOL(Quality of Life)を大切にして、手術をしない、抗がん剤は使わない(敢えてするなら放射線治療)で、人生の終末期を過ごしたいと思います。因みに、上掲の本は私の高校の先輩の中村仁一さんの著書(後者は慶応大医学部の近藤誠医師との対談)で、高校の同窓会のメール配信で知りました。そして、その続きの本として、「「平穏死」10の条件―胃ろう、抗がん剤、延命治療いつやめますか?」と「平穏死」という選択」という本をブック・サービスで注文し、一両日中に届く予定です。この本は、物が食べられなくなった時に、胃ろうまでするか、自力呼吸ができなくなった時に人工心肺までして生き続けるのか、という問題に疑義を呈しています。医療費をとても食う治療に頼って、死に行く自分が行き続ける意味があるかということです。
6.病に倒れたら「胃ろうと人工呼吸は拒否」という意思表示のエンディング・ノートを作っておこうと思いながらも、今のところ高血圧以外に特段病気の症状がない現在、ずるずると先延ばしにしているのが現状です。
(男性、71歳)

 妻に先立たれた老人が、良き伴侶にめぐりあい、ともに暮らす。すばらしいことだと思います。
 特に、男性の立場から考えると、とても幸せなことだと思います。
 その幸せを大事に、第2の人生を過ごしてほしいと願っています。
(男性、70歳代)

 私の場合、子供二人は、それぞれ独立し別居、妻とふたりの生活です。約10年前、本社を離れ、上田、そして、冨山とふたりで生活をして来ました。定年後の今、干渉することなく、やりたいことで、毎日を過ごしています。
 弟様の選択について、そういうこともあり得ることでしょう。そういう選択をされた勇気に、感心します。
 生きるとは、ひとつの何かを求め続ける旅だと思います。そういうロマンを、いつまでも持ち続けたいです。
 問題は、その先、不幸にして、肉体的、精神的な疾患に陥ったときでしょうか。
(男性、60歳代、2人暮らし)

 弟さんの奥様はお気の毒でしたが良き伴侶を得られて良かったと思います。まだ若いのですから残り人生はご自分の設計次第でしょう。
(男性、80代半ば)

 何時に変わらぬ名文。特に出だしの「月影が,障子に皎皎と鮮やかである・・」。こう言う文章はなかなか書けません。歌の最初の発声が大事であるように、最初のパラグラフでひきつけるのですね。
 本題に切り替えます。私が自然さんと同じ状況になったら、多分同じような軌跡を辿ったことでしょう。幸福の形は人様々です。今健康問題を抱えながらも家内共々毎日を平穏に送っている自分は何と幸せだろうとあらためて思料いたします。
 常に死を思い、そして充実した生を考えようと多くの諸賢が述べておりますが、自然さんも自然体でそのように生きておられると思います。
 さて、偶然ですが、自然さんの文中に私が書いたエッセーの題が2箇所ありました。「これでいいのだ」「思えば遠くへきたもんだ」
 私は「思えば・・・」が中原中也の詩の一節とは知りませんでした。海援隊の歌のつもりでした。お恥ずかしい限りです。
 押し付けのようですが、2編を添付します。 (注−別の機会にご紹介いたします−新田)
 取り留めのない意見・感想の羅列でした。すいません。
(男性、80歳代)

 すばらしい出会いに恵まれ、何よりでございました。末永いご多幸をお祈りしております。
 私も、ご同様に、先々のことを考えて不安になり、過ぎし日のことを振り返って悔やむことの多い日々を送っています。ただ、それだけでは敵いませんので、幕末の儒学者佐藤一斎の述べた「心は現在なるを要す。事未だ来らざるに、邀(迎)うべからず。事すでに往かば、追うべからず」をモットーに現在の一刻に心を集中して生きるように努めようと頑張っているところです。
 そんなに難しい言い方をせずとも、江戸後期の心学者中沢道ニは、「明日のこと 昨日のことに わたらずと ただ今橋を 渡れ世の人」と詠んでくれておりまして、降りかかってくる火の粉を追い払うには、この方が適切だと思いますが。
 お互いに、悔いのないように、一刻一刻を大事にしていきましょう。
(男性、80歳代)

 私たち夫婦も入院手術の経歴を踏まえながら今日まで暗黙の中で支え合って幸いにも生きてきました。
 関連の本や記事を読んでいて伴侶を失った時のことを考えなかったわけではないが特に深くは考えもしなかった。心の奥で何とかなるだろうという気持ちがあったかもしれない。この記事に触発されて少しは考えをまとめて見ようと思う。私の友人で数年前に独り身になって以来、海外旅行やゴルフ、カラオケなどなど多趣味も手伝って結構明るく楽しんでいるように見える。独り暮らしとなった哀楽が滲んで伝わってくるのは私ひとりだろうか。多くの視点から問題提起されている記事に同感している。
(男性、86歳、二人暮らし)

 何度も読み返してみた。しみじみと、じっくりと。何度も考えさせられた。今の自分はこれでいいのかと。こんなことをしていていいのかと。
 妻の死、暴飲暴食、自暴自棄、体調不良。絵に描いたような転落から彼を救ったのは彼の強い意志、決して曲げない凄みのある決心、だったような気がする。
 沈み込んだ生活、見えない先行きから何とか逃れたい、絶望の日々。
 知人の勧めがあったとは言え、凡人ならば、この年になって、と思うのが当たり前。そうは思わないところが彼の凄み、決断力。新しい人生をここからはじめるとの気概がひしひしと感じられた。
 結果的に最良のベターハーフを迎えられ、今は順調に航行しているが、その先はわからない。どうか先行きも穏やかな航海がつずくことを心から祈っている。
(男性、80歳代)

 弟さまのお書きになった文章、しみじみと読ませて頂きました。いい文章でしたね、しみじみと・・・・。そして奥様が亡くなった後のご再婚も、無理なく、というよりも、まことに自然な成り行きのように、思えました。弟さまより少なくとも一回り以上も高齢な私ですが、今よりも10歳若くして妻を亡くせば、そうして一緒に暮してくれる人があれば、弟さまと同じことになったかもしれません。
 84歳になる私には、弟さまと同じ道があるとは思えません。多分、2日に1度くらいはヘルパーさんに来て頂いて、ひとり暮らしを続けることでしう。ヘルパーさんにきて頂くのは、孤独死のあと、あまりほっておくと、ご近所迷惑になるのを、恐れるからです。人に伺うと、死ぬ時は意識が薄れて、意外に苦しくないものだとか。
 いずれにしても、80数年の人生を振り返ると、どの時、どの場面でも、私の歩みの方向を決めたのは、私自身ではなく、偶然や運命や確率や------。
神と言い表わしてもいいのですが、信仰心の稀薄な私は、それをSomething Greatと言って来ました。恐らくこれからの短い私の人生も、それが決めてくれることになるでしょう。それ(S G)に身も心も委ねるつもりで、私の方は、ただひたすらに、一生懸命に齢を重ねていこうと、思っています
(男性、84歳、2人暮らし)

 まずは再婚おめでとうございます。本文から多くのものを学びました。
 大正15年生まれと共に小学校入学、昭和2年2月生まれで86歳。家内をなくして5年経過し、老後を心にするこの頃です。5年も経つとそろそろ忘却の彼方へ、と思っていたが、なかなかそのようにならないのが不思議です。
 家内がなくなって3ヶ月後に高野山の菩提寺に参詣した際、図らずも当時90歳の先代住職の奥様が私に、「男は弱いからな」と諭してくれたことを振り返ります。強がりを振舞っていた私を見抜いての諭しであったように思います。私の年代は「男女七歳にして席を同じうせず」の教えを受けた時代です。
 夜中にふと目が覚めると女々しいながら亡妻を思いだします。あれやこれやと試行錯誤するが何の結論もなく繰り返すばかりです。幸いにも、まだ元気で英語を教え、生涯大で講義をする関係で、寂しくなった時には、もっとこれらの授業、講義に集中し励めば、いつしか忘れるだろう、と思うが果たせない。どうも根っこが違っているようです。
 最近フランスに住むデンマーク人からの文通で、彼は細君と死別し、ある女性パートナーとその子供と幸福に暮らしている、と言ってきました。しかもその女性は医師という。おそらく日本で言う婚約でない同棲、と私は想像します。とくにフランスは日本人のように結婚、婚約、という約束事にこだわらないのでしょう。私の記憶では、かつてのミッテラン大統領が女性問題をスクープされたことがあり、その際大統領は、女性関係があって何が悪い、と開き直ったことを思い出します。一方嘗ての首相が同様なスクープで、ごく短命に職を辞したことを思い出すとき、ヨーロッパの先進国が戦争によって勝ち取った自由は、日本のそれとは相違するのでしょうか。
 私もできれば良きパートナーを見つけたい、そして現状を維持したい。私の勝手な願望だろうか。できればパートナーは学ぶ心を持っていてもらいたいものです。学校で、若い時に学習心がなかったのだろうか、はっと気付くとなんと多くの学ぶことが無限に続く。死ぬまで学ぶ、お釈迦さんの前で学び終えましたと言えるまで。できないことは歴然としているが願望であることには違いありません。
 実は私の家内が去る際「再婚してください」と、言いつつ、彼女は無言の世界に入り、入院後3週間で去りました。遺言に沿って80路半ばにしても、良いパートナーがいればとの思いに変わりはありません。しかし、ただ数年にして私の面倒を見てもらうには、私の欲張りだけが先行するのでは、と憂えております。
 それにしても東北大震災を思うとき、復興がまだ及ばない情景をテレビで目に、想いをはせるとき、私のわがままを押し通すことは、いかがなものかと思うこのごろです。
(男性、80歳代、1人暮らし)

 弟さんは、いい方と出会えてよかったですね。
 弟さんの前の奥様は病気だったのですね。以前、新田さんにはお話したと思いますが、私の場合は、突然でした。そんなことで、お互いの死後のことについて真面目に話し合ったことはありませんでした。
 友人や知人が亡くなったときには、葬式の帰りなどで「我が家の場合は、「まず先に死ぬのは僕だね」と話していました。私は昔から結構な大病をしてきて人間ドックなどで書く病歴欄は、書ききれないほど沢山ありました。
 そういうことで、
@私の銀行の口座残高は家内の口座に移す
Aお葬式の時に知らない人ばかりだとかわいそうだから私の仲間にはできるだけ家内を紹介しておく
 を数年前から実践してきていました。
 冗談交じりに「僕が残されるようなことがあったら、きっと生きていけないね」という会話をしたこともありましたが、家内は笑って「大丈夫よ、そうなったら若いお嫁さんをもらったらいいじゃないの」なんて言っていました。
 まさか、家内が先に死ぬなんことは全然思ってもみなかったのです。それが現実になった時はまさに青天の霹靂でした。
 家内が亡くなってもう10ヶ月が経ちますが、正直言って、まだ信じられない気持が続いています。家で、あるいは外で一人でいる時、妻のことをいつも思い出します。ときには、無性に悲しくなって、歩きながら泣いたこともありました。家では、声を出して泣いたりもしました。今朝もそうでした。
 弟さんが、「孤独に過ごす夜は惨めだった。どうしようもない喪失感や空虚感にさいなまれ、とくに病に倒れたときの不安感、だれにも知られず、このまま死んでしまうのではないかと、感じたときもあった。」と書いておられますが、私はまさにその通りの心境です。
 昨年、秋に不整脈に襲われ心臓手術を受けましたが、自分が気がついたからよかったものの、ひょっとしたら突然死していたかもしれません。 これから先、いつか突然死ぬようなことがあるかもしれない、とも思っています。最近は、朝目覚めたら、「ああ、今日もまだ生きてる!」と思っています。
 奥さんが先に亡くなると、夫は2年半ぐらいで後を追うようになくなるケースが多い、とよく言われていますが、よく分かります。今まで、友人や知人が我が家に来てくれたり、励ます会をやってくれたり、が月に何回ものペースであり、気が紛れて過ごしてきていますが、この先一人でいる機会が多くなると、生きていく意欲、気力が続くとは思えません。
 家内がいればこそ、扶養しなければと思って仕事を続けていましたが、もうそんな必要はなくなりましたから、仕事に対する意欲は全く無くなりました。今のところ、まだいろんな手続きや片付けることがあり、それを追いかけているのが現状です。
 妻が元気な頃は、「海外旅行でxxに行こうか」「国内旅行で温泉めぐりをしようか」などと話し合っていましたが、今は旅行には全く興味はありません。せいぜい水泳、釣りと合唱ができればそれでいいと思っています。あとは、なにか人の役に立とうと思い、今住んでいるマンションの自治会で昨年夏に発足させた「健康麻雀クラブ」の指導員をやっています。
 病気でガンなどが発見されたら、もう治療などせず、そのまま残った期間を思うように生きようとおもっています。考えたら、ガンはいつ頃死ぬかが分かるので、かえって自分にとっては好都合だと思っています。 昨年の人間ドックでは、PSAの数値が「要注意」でした。 医者は「もうしばらく様子を見ましょう」と言っていますが、もし前立腺ガンだったら、私は治療はせず、病を受け入れようと思っています。子供たちには、<延命治療・措置は不要>との宣言書をすでに用意しています。
 弟さんが、「多くの書物が、孤独な老人となってどう生きるか、その生き方についていろいろと指し示している。ひとり居を楽しめ、趣味をもて、孫たちとの生活も楽しいぞ、近隣とのつき合いをよくしろ、はたまた施設への入居方法など、ノウハウからハウツーまで、こと細かに解説している・・・」と書いておられ、そんな本が沢山書店に並んでいますが、私は全然読む気になりません。
 私も来年は後期高齢者になります。自分で考えて時期が来たら子供達に話そうと思っています。
(男性、70歳代)

 心に沁みる文章で心の底から静かな感動を覚えました。まずは弟さんご夫妻に「本当によかったですね!おめでとうございます」と申し上げたいと思います。
 お互いによいお相手に巡り合えてラッキーでしたね。現在のお幸せな暮らしをお二人が手に入れられました。立派な選択をされたと思います。
 ご家族の皆様のご理解を得られてのことでしょうから、いろいろな面で恵まれていらっしゃいますね。今後ともお二人のご健康とご多幸を心からお祈り致します。
 私たち夫婦もいつの頃からか時にお互いに冗談まじりで、もしも私が先に逝ったらいい方を見つけて一緒に暮らしてくれるといいからネ‥と話します。弟様の奥様と一緒ですね。主人がもしものときには私にいい人と暮らせよとは一度も口に出しません。どちらが先に逝くかわからないので、先のことをあれこれ思いわずらうのはやめようと思ったりします。
 私たちの周りにもご主人が残されて再婚された方、ご主人に先立たれて未亡人になられた方が毎年数を増しています。奥様が再婚されたということを知りませんので、きっと女性は寂しさにも耐えて一人でも生きていけるのでしょうか。
 私自身は全く自信がありませんが‥不安はいっぱいです。いろいろのことに思いが広がっていきます。
 夫婦で日常の生活が年齢相応に営まれるならば、それ以上のことは無理に望みを大きくせず、健康維持に努力しながら、日々を大切に過ごせたらいいなあと思います。
 とりとめのない文章で、乱筆乱文お許しくださいませ。
(女性、76歳、二人暮らし)

 第140号に手記「節子よ やすらかに眠れ」を書かれた時から弟さんの今後については心配しておりましたが、良い伴侶に巡り会えて、よかったですね。おめでとうございます。
 弟さんの再婚には、私も賛成です。文面から察するに、弟さんも私同様、一人ではなかなか暮していけないタイプのように感じられました。死別の場合は、とくに亡くなられた奥様のことが忘れられないでしょうし、再婚しては申し訳ないという気持ちになられるのではないでしょうか。
 しかし、人生は一度しかありませんし、やり直しがききません。もし、そのまま悶々とした独身生活を続けていたら、おそらく悔いが残ることになるのではないでしょうか。そこは、気持ちをふっ切って、ご自分がこうしたいと思った人生を歩んだ方が、後々悔いが残らないのではないかと、私は思います。
 あとは、お子様がどう思われるか、お子様にどのように対応してあげられるかでしょう。再婚しても、弟さんのお子様と新しい奥様との間には、法律上、親子関係は生じません。したがって、いずれ直面するであろう遺産相続の問題が発生します。このあたりまできちんと決めておいてあげれば、お子様も安心なさるでしょう。老婆心ながら、そんなことを思いました。
(男性、70歳代、2人暮らし)

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