7月の末から8月の中頃にかけて2つのツアーに妻と行ってきました。その旅行記です。
 なお、それぞれ日記風の旅行記を8月の手賀沼通信ブログに3回ずつに分けてまとめております。

立山黒部アルペンルートほか2ヶ所の観光地を巡る

 7月31日から8月2日まで、クラブツーリズムの「迫力のアルペンルート・室堂と黒部峡谷トロッコ電車 上高地・北アルプスの国立公園ぐるり絶景紀行」という長いタイトルのツアーに行きました。
 このツアーは初日に黒部峡谷トロッコ電車に乗ること、2日目は立山黒部アルペンルートをたどること、3日目は上高地を散策することという3つの観光を組み合わせたものでした。

1.やや退屈の黒部峡谷トロッコ電車
 黒部峡谷トロッコ電車は宇奈月温泉の宇奈月駅から、鐘釣駅まで黒部川に沿った峡谷を片道約1時間かかって遡り、帰りは同じ線路を戻ってきます。
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 この鉄道は観光用に作られたものではなく、資材運搬用として使われたものです。大正12年に工事を開始し、少しずつ開通区間を延ばして、昭和12年に終点の欅平まで開通しました。
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 今は観光用の営業運転ですが、あえて乗り心地のよくないトロッコ電車で秘境をのんびり走るというのを売りにしているように感じました。屋根はありますが、左右は吹き抜けです。今の時期は心地よい風に当たることができ、気分爽快でした。ただ、追加料金を払うと、窓の取り付けられた車両に乗ることもできます。
 鐘釣までの黒部峡谷の景色は、さすが秘境という感じでした。途中にダムやダム湖や発電所があり、猿専用のつり橋が架かっていました。対岸の岸壁が見事なところもありました。支流に架かる橋も2度ほど渡りました。電車は峡谷のはるか高いところを走ったり、黒部川をすぐそばに見ることもありました。
 鐘釣で1時間ほど過ごしましたが、万年雪以外はあまり見るところがなく、帰りは同じ線路を走るため、やや退屈でした。
 おそらく紅葉が見事な秋のほうが、トロッコ電車はもっと楽しいのではないでしょうか。

2.やや期待はずれの立山黒部アルペンルート
 立山黒部アルペンルートは、関係自治体、電力会社、民営会社が協力して開発し、昭和47年に全線開通したルートです。
 立山黒部アルペンルートは前ページの図(立山町観光協会のHP)にあるように、立山駅から、立山ケーブルカー、立山高原バス、立山トンネルトロリーバス、立山ロープウェイ、黒部ケーブルカーを乗り継いで黒部ダムに行き、ダムの堰堤の上を歩いて、関電トンネルトロリーバス、路線バスで信濃大町に出るルートです。私たちは扇沢から観光バスで宿に向かいました。
 私は昭和38年保険会社のハイキング部にいたとき、富山から電車とケーブルカーと高原バスで室堂まで行き、立山と剣岳に登った後、歩いて黒部ダムまで下山し、関電トロリーバスで扇沢に出た経験があります。
 立山黒部アルペンルートが開通するまでは室堂から黒部ダムまでは山男や山ガール(という言葉は当時はありませんでしたが)や山スキーを楽しむ人の世界でした。しかし今は年間100万人の観光客を集めています。
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 今回一番楽しみにしていたのは、室堂辺りから見る勇壮な山々の風景と美しい花々を見ることと、黒部ダムの放水を見ることでした。
 ところがこの日は午前中雨、午後曇りという悪天候で、しかも室堂は霧で視界がきかず、何も見えない状態でした。
 黒部ダムの放水も、雨で下流の水かさが増し、観光放水は中止となりました。
 楽しみにしていた2つがだめになりましたが、立山ロープウェイに乗る頃から雲が晴れ、景色を楽しむことができました。黒部ダムの偉容にも圧倒され、無事アルペンルートを通ったという達成感で満足とすることにした次第です。

3.最後に満足の上高地
 私にとって上高地は4度目でした。
 1度目は昭和37年やはり保険会社のハイキング部で上高地から涸沢経由で穂高連峰に登ったとき。2度目はコンピュータ会社の仲間と槍ヶ岳に登ったとき。3度目は妻と白骨温泉に行った際に上高地まで足を伸ばしました。
 今回のツアーは最後に好天となりました。雨でも楽しめるツアーもありますが、山を眺めたり巡ったりするツアーは、雨が降ると台無しになります。
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 上高地の入り口の大正池から河童橋までのんびりと歩きました。大正池は昔は池の中に枯れ木がいっぱい立っていましたが、50数年の歳月の間に、ほとんどなくなり、見通しのいい池となっていました。
 河童橋からは、1度目に来たとき登った穂高連峰の雄姿が鮮やかに見られました。もう1度登りたいと思いましたが、三浦雄一郎さんのようなトレーニングをしない限りもう無理でしょう。
 最後の満足は、山の景色と同時に、室堂では見られなかった美しい花々を見ることができたことです。妻は立ち止まってはカメラを向けていました。それと清水やホテルのレストランで、おいし昼食をいただいたことでした。

阿波おどりとよさこい祭りを見る

 8月11日から13日まで、クラブツーリズムの「桟敷指定席付 四国夏祭り 阿波おどりと高知よさこい祭り」というツアーに行ってきました。
 1日目は新幹線で岡山まで行き、観光バスに乗り換えて、瀬戸大橋を渡り、善通寺を観光。高知のホテルで早めの夕食を取って、桟敷席でよさこい祭りを見学し、高松まで戻ってホテルに宿泊。
 2日目は高松市内の栗林公園を観光、徳島県の祖谷で昼食後、祖谷のかずら橋を渡り、徳島市内のホテルで夕食後、桟敷席で阿波踊りを見て、淡路島のホテルに宿泊。
 3日目は鳴門の渦潮を見て淡路島を縦断、鳴門海峡大橋を渡って神戸のホテルで昼食、新神戸駅から新幹線で東京に戻る日程でした。

1.大音響と衣装も踊りも自由奔放なよさこい祭り
 いただいた「よさこいガイドマップ」に、よさこい祭りは「自由の国・土佐」で生まれたお祭りです、とありました。
 土佐といえば坂本龍馬や板垣退助を思い浮かべます。坂本龍馬はがちがちの身分制度に縛られていた幕府を倒すことに命を賭け、自由と平等な社会を作るよう船中八策を書きました。板垣退助は自由民権運動で有名です。
 よさこい祭りは衣装のデザインや踊りの振り付けが自由奔放です。なかには浅草のカーニバルのような格好で踊っているグループもありました。
 決まっていることといえば、踊り手は鳴子を持って踊ること、音楽が「よさこい鳴子踊り」で始まり、「よさこい節」に続くことです。その後はどんな曲になっても自由です。
 ただ、グループのフォーメーションは決まっているようです。
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 グループの先頭はトラックを派手に飾り立てて、大音響を発するオーディオ機器を載せた地方車(じかたしゃ)です。トラックの上には歌い手が載っています。その後ろに踊りのリーダーやちょうちんを持った人が続きます。その後が踊り手です。踊りは振り付けは自由ですが、全員が見事にそろっていました。
 最後に大きな旗を持った旗手が懸命に旗を振っているグループもありました。
 音の大きさは尋常ではありません。右翼の街宣車顔負けの音で、私の持っているペットボトルやかばんがびりびり反響していました。
 私が見た場所は追手筋本部競演場でテレビ中継や審査が行われる一番メインの競演場でした。高知城に向かう国道上で踊り、桟敷席は歩道に設けられていました。

2.スチールワイヤーの入ったかずら橋
 私の好きな民謡に「祖谷の粉ひき唄」があります。この唄の歌詞にかずら橋が出てきます。機会があったら行ってみたいと思っていましたが、今回のツアーでこの橋を渡ることになりました。
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 バスガイドさんの説明では、かずら橋は平家の落人が谷を渡るために作ったもので、敵が攻めてきたときにいつでも切って落とせるように、かずらを利用して作ったといわれています、とのことでした。
 ところが今では観光用になりました。観光で大勢の人が渡るには、かずらでは危険です。今はワイヤーで作られ、その上をかずらで覆っているようです。そして3年に1回作り直されるとのことです。
 8月12日は、お盆と阿波おどりが重なり大勢の観光客で大賑わいでした。20分ほど待って渡しましたが、結構スリルがありました。

3.見る阿呆を満喫した阿波おどり
 このツアーを申し込んだ後に、NHKのテレビ番組新日本風土記で「阿波おどり」が再放送されました。この番組を見て出かけたおかげで、阿波おどり見物がいっそう味わい深いものとなりました。
 阿波おどりには400年の伝統に裏打ちされた美しさがあります。型があるのです。
 おどり方はひざを曲げ、腰を落としてダイナミックに踊る「男踊り」、手を高く上げしなやかに踊る「女踊り」です。女性は全員女踊りというわけでもなく、男踊りを踊る女性もいます。子供たちは男踊りを踊っていました。
 通常は女踊りと男踊りはそれぞれ一団となって前に歩きながら踊りますが、中には集団を作って踊ったり、両者が入り混じりながら踊るバリエーションがありました。
 また、奴凧のような格好で踊る凧踊りなどもあります。
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 女踊りを踊る女性の衣装は、網笠に美しいそろいの浴衣に足袋に下駄で決めます。男踊りの衣装は浴衣か半天に足袋、ちょうちんやうちわを持っています。
 グループを連といい、技量に優れた有名連、企業や各種団体の連、誰でも参加できるにわか連などがあります。
 鳴り物は、三味線、笛、鉦、締太鼓、大太鼓でこの順番に歩きながら演じます。
 私たちが見た藍場浜演舞場は、広場に向かい合った桟敷席を設け、その真ん中を踊りぬけるようになっていました。私たちの席はかなり上のほうでとても見やすい席でした。
 阿波おどりはこのような決まった演舞場だけでなく、街角でも踊られます。一般人や観光客の踊る阿呆は、そちらで参加するようになるのでしょうか。

4.ラッキーだった渦潮見物
 渦潮見物はツアー3日目の午前にスケジュールされていました。これが大変ラッキーだったのです。船に乗る時間と渦潮が発生するタイミングがぴったりでした。
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 渦潮は潮の干満によって生まれます。場所は大鳴門橋のかかっている鳴門海峡です。ちょうど橋の下あたりです。
 1日に2回瀬戸内海の海水が太平洋に向かって流れ出し、また1日に2回逆の現象が起きます。潮の流れは時速13〜15キロ、大潮のときは20キロにも達します。このときに渦潮が発生するのです。
 私たちは福良港から9時30分に出る観潮船の咸臨丸に乗りました。渦潮カレンダーを見ると、13日は潮の流れが特に強い日で、その時刻は渦潮の期待度大となっていました。
 10時近くに大鳴門橋の近くにつきました。期待通り渦潮を見ることができました。天気もよく風も弱かったので絶好の渦潮見物になりました。

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