今月は弟のエッセイ二つを載せました。

特別寄稿
勧進帳は素晴らしい       新田自然


 歌舞伎のことはあまり詳しくないが、勧進帳にかぎっては大変に好きである。
 昨年2月、市川團十郎が亡くなったとき、NHKでは在りし日の舞台を放映していた。大きな顔とぎょろ目、鈎鼻、太いだみ声、團十郎は弁慶のために生まれてきたような姿、形、で勧進帳を演じていた。1時間15分ばかりの一幕二場だが、気迫のこもった舞台であった。
 幕が開くと、正面には大きな松の書き割りがあり、まさに能舞台、歌舞伎の出し物としては異色で、きわめてシンプルな舞台装置、舞台奥にあるひな壇には、長唄の唄方、三味線方、お囃子方が並ぶ。
 そこは安宅の関、義経主従がさしかかり、無事に通り抜けられるか否か、義経の家来武蔵坊弁慶と、関守富樫左衛門、そして九郎判官義経を交えた男の戦いが演じられる。このあまりにも有名な歌舞伎の一幕は、スリリングでドラマチック、長唄あり、舞いあり、涙をともなって快く、ユーモアさえあって、勇壮な飛び六法で締められる。
 勧進帳は、歌舞伎では最も多い上演回数で、維新が落ち着いた明治になって、九代目團十郎において一般化した。以来多くの役者が弁慶役を競うようになった。七代目幸四郎だけでも千六百回も演じたと言われるところからも、総上演回数はゆうに五千回は超えるのではないかと思われる。(因みに、昨年亡くなった團十郎は十二代目であり、現在の幸四郎は九代目である)
 ほぼ現在に近い形で勧進帳が作られたのは、幕末も天保年間、ペリーが来航した頃である。七代目市川團十郎、後の五代目市川海老蔵によって企画されたといわれる。能の「安宅」から引き写したものといわれるが、能は本来江戸では武士のものとして一般的ではなく、海老蔵による歌舞伎化は大衆演劇においては革命的なことであった。以来市川宗家の歌舞伎十八番として引き継がれてきたが、江戸時代(天保11年から慶応3年までの27年間)においては、数年に1回の上演で、のべにして5回の上演回数しかなかった。このことからも、この演目がいかに近代において、もてはやされるようになったかが分かる。おもだった役者がこぞって演じるようになり、明治帝の天覧もあった。大正時代においては、歌舞伎座、帝劇、市村座と東京の三座が同時に勧進帳を公演したこともあったそうである。揶揄されて「またかの関」といわれたとか。なんとなく、わが国の年末行事と言われる「ベートーヴェンの第9」ラッシュによく似ている。
 どうしてこんなに勧進帳が受け入れられるようになったのか。それはいろいろ解説されているが、やはり日本人の感性にすっと入ってゆく「作り」にあったことは否めないであろう。弁慶の義経に対する忠君至誠、富樫の弁慶に対する情など、日本人特有の感性というべきか。
 また勧進帳には歌舞伎の三大要素、すなわち、歌(音楽)、舞(舞踊)、伎(演劇)が具備されていて、楽しむための条件が凝縮されていると言える。筋書きはきわめて単純、「判官びいき」「弁慶のなきどころ」「勧進帳を読む」などという言葉も生まれた。時間もちょうどよい。

 頼朝によって追われる身となった義経主従が、山伏に身をやつして、近江の国から越前への国境、安宅の関にさしかかり、関守富樫によって見とがめられる。「山伏を堅く詮議せよ」と鎌倉から命令が出ていたのだ。疑いを晴らそうと弁慶が、そこで開いたのが勧進帳で「われらは東大寺再建の勧進のため諸国を行脚している」と言い逃れする。富樫はしからば勧進帳を読めと迫る。勧進帳とは寺社への勧進(寄付)をすすめる趣意書である。弁慶は白紙の巻物を取りだし、勧進帳と偽って「天も響けと」大音声で読み上げる。此処における2人のやりとりは丁々発止、ものすごい迫力だ。富樫は深く感心し通ることを許可するが、番卒によって付き添いの強力が義経ではないかと見破られそうになる。弁慶は「義経に似ていることこそ、こしゃくなれ」と金剛杖で強力(義経)を打ち据える。敢えて主君を打擲するという、この弁慶の行為に深く感動した富樫は、強力は義経と認めつつも、自らの責任において一行の通過を許可し、その上酒肴のもてなしまでをする。弁慶は難を逃れるためとはいえ主を打擲した不忠を涙をもって謝り、義経は弁慶の気転に救われたと心から感謝する。弁慶は、送りに来た富樫への礼と敬意を込めて舞を一差し舞う。弁慶の腹芸と富樫の腹芸がぶつかり合って火花を飛ばし、お互いが理解し合って幕は閉じられる。本音と建て前が交錯し、本音が勝って建前の関をくぐり抜けてゆく。

 弁慶はまさに主役、能におけるシテである。剛勇、知謀、気転もあって胆力もある。酒も底なし、踊りもできる。義経には至誠をもって臨み、難を逃れるためであったとはいえ、主を打ったことを詫びて泣く。泣かぬ弁慶が泣くところが見せ場となる。
 富樫もただのワキとしての役人ではなく、智と情に厚い人物として描かれている。山伏問答における弁慶とのやりとりは一歩も引かない気迫があり、最後は義経と見破りながら関を通す。あとにどのような咎がまっていようとも、覚悟の上でこの主従を逃すのである。日本人の美学は此処にいたって極まれる。

 わたしが勧進帳を好むのは、ドラマもさることながら、音楽としてのすばらしさによるところが大きい。長唄勧進帳はメロディもいいが、あのワクワクするようなリズム感がたまらない。三味線、大鼓、小鼓、笛などお囃子と唄方が小気味よく舞台を進行させてゆく。長唄は本来ストーリー性を持つものではないが、長唄勧進帳は、曲だけで聞いても全体を理解できる完成度の高い作品である。

「旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の 露けき袖やしおるらん…」
「時しも頃は如月の、如月の十日の夜、月の都を立ち出でて…」
「もとより勧進帳のあらばこそ、笈の内より往来の巻物一巻取り出し、勧進帳と名付けつつ、高らかにこそ読み上げけれ…」
「ついには泣かぬ弁慶も、一期の涙ぞ殊勝なる…」
「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して、陸奥の国へと下りける。
 (幕切れ、舞台は幕が引かれ、弁慶のみ花道に残る)…弁慶思い入れあって、金剛杖をかいこみ見得。飛び六法にて花道を入る。(あとシャギリ)

 よい音楽は国境を越え、ジャンルを超えて聴く人の心にしみ込む。それはシンフォニーであっても、ジャズや、民族音楽、あるいはシャンソン、民謡、演歌などであっても、ともに感動できるものならなんであってもいい。音楽と俳優によって作られる劇も世界に多く、イタリア、フランス、ドイツなどのオペラ、ワーグナーの楽劇、ウィーンにおけるオペレッタ、ロンドン、ブロードウエイ・ミュージカルなど、多くの作品がひしめく。勧進帳はこれらの名作と比較してもまったくひけをとらない、世界に冠たる音楽劇である。アリアこそないが、七五調という日本語の特徴が三味線、大鼓、鼓、笛と一体となって躍動感をともない劇場内に響く。
 俳優の表現力も見逃せない。強い様式性と個性が織りなす「所作」「舞い」の力強さに観客はしびれる。様式とは伝わってきた「さま」「かたち」であり、それを個々の役者がどう演じるかが見ものなのである。弁慶になりきることは難しい。たとえば義経を打擲する場面においては、強く打ち据えればいいだけはなく、義経への思いが込められていなければならない。かといってそれを表面に出し過ぎては(強力は義経だと)富樫に見破られてしまう。それらのすべてを収めて弁慶を演じ切らねばならないのだ。
 また、これは能から来ているのだろうが、「間」もみごとな空間を作り上げる。「間」とは位置、リズム、タイミングであり、文字通り間延びしては演技が成り立たない。科白やしぐさ、見得をきる間隔など、この歌舞伎の微妙な「間」は観客の興奮をため込んで倍加し吐出させる。
 歌舞伎は舞台と観客とが作り上げる一大演劇空間であるといえる。どこの国の劇場にもない「花道」という、舞台の延長としての通路が設えられ、観客と舞台の一体化が行われ、俳優は花道からも観客に向かって見得をきる。それにこたえて大向こうから「成田屋」とか「「高麗屋」とか、タイミングのよいかけ声が掛けられ、劇場の空間は一体化するのだ。これは勧進帳にかぎったことだけではないが、勧進帳にいたってこの一体感は最高潮に達する。芝居を見終わった観客はしばし余韻を楽しんで呆然となる。

 こんなことを書きながら、自分がまだ勧進帳を「生」で見ていないことに気づく。テレビでは何度か見、長唄はCDでも聴くことはよくあった。歌舞伎座へも何度か足を運んだが、ついに勧進帳には出会えなかった。
 もはや團十郎は見ることかなわず、あの雰囲気を楽しむことはできないのだ。
 しからば、新装なった歌舞伎座で、あの声音のよい吉右衛門の弁慶など、見てみたいものである。
 
参考文献:「勧進帳」 渡辺保著   筑摩書房
       「団十郎と『勧進帳』」 小坂井澄著 講談社

特別寄稿
箱根駅伝を見ながら       新田自然


 今年の箱根駅伝は東洋大学が圧勝した。駒沢大学ではないか、という前評判をはねのけての勝利は、往復10名の選手のなかで、1人欠けても勝つことはできない、という駅伝の厳しさと、あの急峻な箱根の坂道を上り下りする、この駅伝特有のドラマ性が、遺憾なく発揮されて見応えがあった。山梨学院大学のように、絶対のエースとして送り出した、ケニア出身の選手が疲労骨折を起こすなど、予期せぬアクシデントに見舞われ、見逃せない場面が続いた。
 ここ20年来の、わが家の正月行事には、箱根駅伝が組み込まれている。子ども達が小さい頃は遠出したものだが、ここのところは初詣や、初日の出、近間のドライブなど、ちょっとした外出はあっても、駅伝に支配される2日間となっている。かつては時間を見計らって東海道線に乗り、大手町のゴール地点まで出かけたりしたが、いまは浜見山交差点にある、母校の応援ポイントで小旗を振るか、テレビでの観戦となる。今年は2日が浜見山、3日はテレビとなった。
 浜見山交差点は、藤沢と茅ヶ崎の境、国道1号線から134号線にいたる国道沿いにある。駅伝ではほぼ中間地点、つまり3区の真ん中あたりである。往路でいえば遊行寺坂を下った選手が藤沢市内を抜けて、湘南海岸道路に出る直前にある。応援場所は、正月で休んでいる事務所を借りて、大型テレビが置かれ、椅子やテーブルもあって、お酒がふるまわれ、OB同士で新年の挨拶を交わす、そんな場でもある。10時頃現場に着いたら、もうすでに多くの仲間達が来ていた。今年は駅伝をしっかり見ようと、お酒は早めに切り上げて、国道沿いの好位置を捜す、もうすでに多くの人達が陣取っている。それぞれの大学の応援のため、幟がひしめいている。近くには「中央大学」「駒沢大学」「國學院大學」など、スクールカラーに染められた幟旗が数本ずつ、もちろん「早稲田大学」も臙脂の幟旗を林立させている。このようなシーンは、多くの地点に見られるから、1つの大学をとってみても数10ヶ所、相当な動員数である。

 箱根駅伝が、大学経営の重要な役割を担っているという話を聞いたことがあった。2日間にわたって、30%という高視聴率を稼ぐテレビ放映は、入試直前の大学広報の絶好の機会だという。絶えず大学名が放映され続け、確実にイメージアップが期待できるというのだ。通常、これだけ大学名を広告すると膨大な広告費となる。大学経営上入学試験料は重要な経営資源である。受験料は約3万5千円であるから、仮に千人増えると3500万となる。数年前箱根の坂で逆転し、優勝した東洋大学は、その年志願者が6400人増え、2.2億円稼いだという。常連校入りした青山学院も上位に上がるにつれ志願者が増えたようだ。もちろんこれだけが原因だと決めつけられないが、大学名の連呼は宣伝効果大というべきだろう。城西大学や上武大学など、初めてテレビで知った大学名もあるくらいだ。出生率が下がり、冬の時代を迎える私学経営にとっては、学生集めは必須の重要案件だ。高校駅伝の有力選手を集めるため、特別待遇(入試免除、授業料免除など)までおこなっているという。本来大学の良否はこのようなイメージ広告によるべきではなく、教育の質、就職率、満足度などで測るべきだと思うが、まあそんなことを言ってもしようがないか…。とにかく優勝を期待された駒沢大学にとっては、限りなく負けに近い2位だった。
 もともと「東京箱根間往復大学駅伝競走」という1地方大会である。主催が関東学生陸上競技連盟なので他の地域の大学には出場の機会がなく、このようにメジャーな大会となってしまうと著しく不公平な行事となっている。おかげで有力な高校生はほとんどが箱根駅伝に出られる関東の大学を目指すという。国を挙げての新年行事となった現在、地方大学にも出場の機会を与えてはと思うのだが。

 ビジネスチャンスと捉えるのは、新聞社と系列のテレビ局、運動用品メーカー、自動車メーカー、それと警察もかなり力を入れていると見た。メディアは読売新聞と日テレだ。応援に来た観衆は読売新聞とスポーツ報知の小旗を持たされ振り続ける。出発地点とゴール地点が大手町の読売新聞社前というのもやや露骨だ。テレビは同系列の4チャンネルだ。新年の視聴率を稼ぐため、予選会や夏期合宿の状況、選手個人個人の情報まで放映して、大会人気をあおっている。メインスポンサーはサッポロビールで、2日間出ずっぱりだ。これでどのくらい効果があるのか不明だが、ここ数年間スポンサーの地位を放していない。運動用具メーカーは、ナイキ、ミズノ、アシックス、などで、ユニフォームの左胸に大きくマークが表示され、選手の表情がアップされると自動的にマークも大写しされる。メーカーも宣伝費としてかなりの優遇措置を講じているだろう。また、レースに使用される審判車、先導車など、公式用として使用されるクルマはすべてトヨタであった。
 警視庁と神奈川県警も通常の警備以上のはしゃぎようだと感じられた。とくにコースの大半をとり仕切る神奈川県警は、通常ならば迷惑な仕事にもかかわらず、楽しいお祭りだと、必要以上と思えるパトカーや白バイを投入しているように思えた。選手が走ってくる前から、何台も白バイがやってきて、なんだかんだと注意する。トップランナーには2台の白バイが先導し、以下の選手達にも各1台がつけられる。テレビでは先導する白バイの警官の個人名が披露される。よく見ると女性の白バイも結構いる。ヘルメットをかぶるとみんな男性だと思っていたが間違いなく女性だった。これは県警にとって、白バイは市民を取り締まるだけでないのだ、とPRできるいいチャンスで、彼らのモチベーションアップのいい機会となるだろう。たしかにライトブルーの制服に白い2輪車はかっこよかった。女性の白バイ志願者も増えるかも知れない。

 なんで箱根駅伝がもてはやされるのだろう。4チャンネルによる過剰な報道があるのは事実だが、選手にとって過酷な坂道があり、他の大会ではあまり見られないドラマ(トラブル)があり、正月のヒマな時期とも重なって関心が向くのだろう。続けて見なくてもよく、適当にテレビをつけてお屠蘇でもいただき、シード権をとった、落とした、だのと言っておればよい。皇居、銀座、日本橋、富士山、江ノ島、箱根など、という正月ぴったりの風景がつぎつぎと広がり、おまけに冬のこの地域は天候さえ絶好のお日和となる。まるでおせち料理の3段重を食べるような盛り沢山のサービス内容だ。

 また今年も始まってもう7日が過ぎた。このままでいくと3月はすぐに過ぎ、半年、1年と時間は猛烈に走り抜ける。駅伝選手達ももう来年の大会を目指して練習を始めていることだろう。はたして来年も元気で見ていられるだろうか。


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