今月は手賀沼通信ブログからの抜粋をお送りいたします。

手賀沼通信ブログからの抜粋

日本語教師大川豊さんの2冊の本(NO.64)(平成25年8月23日)

元の会社の後輩で友人の大川豊さんが2冊目の本を出しました。
 大川さんは2003年にそれまで勤めていた日本アイ・ビー・エムを早期退職し、中国の蘇州大学に日本語教師として赴任しました。それ以後
・蘇州大学(蘇州)   2年
・南京工業大学(南京) 3年
・中南民族大学(武漢) 2年
・蘭州大学(蘭州)   3年
 の10年間、日本語を教え続けています。そしてこの9月からは蘭州大学での4年目の教師生活に入ろうとしています。
 中国は9月新学期開始、翌年7月終了の2学期制です。途中休み期間は、学期が終了する7月途中から8月末までと、春節(旧正月で中国のお正月)前後の冬休みの2回です。大川さんは、お休みには中国を旅行した後、日本に戻ってゆっくり充電します。
 大川さんは家族を神奈川県に残し、中国でこんな単身赴任の生活を10年続けました。中国と中国人が好き、日本語を教えることが好きでなければ、到底できないことだと思います。
 大川さんは近況報告を毎月メールで親しい方に送っています。中国事情や中国での生活、休み中の旅行、日本語を学ぶ学生の気質や事情、教えた内容、生徒との交流など、さまざまなテーマで生き生きとした文章が届きます。いつも楽しみにしているメールです。
 大川豊さんはその報告を2冊の本にまとめました。

・「中国で日本語を教える」蘇州・南京編 長崎出版 2008年 1200円+税
・「中国の日本語教師」団塊世代は中国を目指す 長崎出版 2013年 1500円+税 これは1冊目の続きで、武漢・蘭州編です
 2冊目の帯封には「中国の懐に飛び込んで10年! 外資系企業を早期退職した企業戦士が選んだ第2の人生は、中国の大学生に日本語を教えることだった。 −あなたの知らなかった現代の中国が見えてくる! 激動の中国滞在記」とあります。大変面白い本です。お薦めします。

2020年東京オリンピック決定(NO.647)(平成25年9月8日)

 平成25年9月7日(日本時間8日)アルゼンチンのブエノスアイレスで2020年の夏季オリンピックとパラリンピックの開催都市を決めるIOC総会が開かれ、IOC委員による投票の結果、東京に決まりました。
 1回目は東京42票、イスタンブール(トルコ)とマドリード(スペイン)が同数の26票でした。再投票の結果イスタンブールが残りました。2回目は東京60票、イスタンブールが36票でした。
 前回の東京オリンピックは1964年でしたので、56年ぶりの開催となります。
 東京は競技会場が集中するコンパクトな開催計画や、高い輸送能力、4000億円の積立金、高い安全性などをアピールして、イスラム圏初のオリンピックを目指したイスタンブールに勝ったのです。
 メイン会場となる国立競技場は1300億円を投じて立て直されます。収容人数は5万人から8万人に増えます。屋根は開閉式の全天候型になります。
 前回の東京オリンピックのときは私は27歳でした。手賀沼通信第77号にオリンピック回想記を書きましたが、東京オリンピックについて次のように記しています。
 「日本中が熱狂の渦に包まれたのが東京オリンピックです。日本のオリンピック関連の投資額は7年間に1兆円を超えました。その8割は新幹線、高速道路、地下鉄など交通網の整理に当てられました。東海道新幹線の開通は10月1日、オリンピックの開会式は10月10日でした。
 私は9月15日にそれまで勤めていた保険会社を退職し、10月15日に日本アイ・ビー・エムに入社しました。(中略)
 10月10日はすばらしい好天、355名の日本選手の軍隊式の堅苦しいながらも整然とした入場行進に胸を熱くしました。日本選手の活躍も見事で、金16、銀5、銅8で、金メダルの数はアメリカ、ソ連に次ぐ3位でした。(中略)
 極めつけは女子バレーの『東洋の魔女』の活躍です。決勝戦で宿敵ソ連を熱戦の末倒し、見事優勝を飾りました。このときのテレビ視聴率は85%、優勝の瞬間の前後は東京都内では電話をする人がいなかったという伝説が生まれました。
 なお東京オリンピックでは記録の集計や発表に初めてオンラインシステムが使われました。日本アイ・ビー・エムがシステムの開発を行い運用をサポートしました。日本国内での初めてのオンラインシステムでした。(後略)」

高校野球日本代表2位となる(NO.648)(平成25年9月10日)

 平成25年9月8日に台湾の台中で行われた、野球の18歳以下ワールドカップで高校野球日本代表は、アメリカに2−3で敗れ2位となりました。
 日本は初優勝を狙いましたが、やはりアメリカの壁は厚かったようです。アメリカは2年連続、7度目の優勝でした。
 IBAF18UW杯は、世界各地からの18歳以下の野球チームがワールドカップを争うもので、今回で26回目、12チームが参加しました。
 日本の成績です。
第1ラウンド
・日本4−1台湾
・日本11−0メキシコ
・日本7−0ベネズエラ
・日本15−0チェコ
・日本7−5カナダ
第2ラウンド
・日本10−0韓国
・日本10−0キューバ
・日本4−10アメリカ
決勝戦
・日本2−3アメリカ
 日本チームは夏の甲子園出場チームが主力メンバーでしたが、甲子園に出場できなかったチームからも選ばれています。
 決勝戦の日本の先発投手は、神奈川県予選で横浜高校に敗れた桐光学園の松井祐樹でした。
 なおベストナインに相当するオールスターチームには、先発投手に安楽智大(済美高校)、捕手に森友哉(大阪桐蔭高校)、救援投手に山岡泰輔(瀬戸内高校)が選ばれました。
 安楽は3試合18イニング無失点、無四球、27奪三振、防御率0.0で、最優秀防御率、最高勝率賞も受賞しました。森は2年連続受賞。9試合で15打点で打点王も獲得しました。山岡は4試合無失点で救援投手賞に選ばれました。

国際成人力とIT発達度の調査結果(NO.655)(平成25年10月9日)

 10月8日と9日の読売新聞に国際的に各国の人の力を比較した調査結果が出ていました。
 ひとつは経済協力開発機構(OECD)が、世界24か国の16歳〜65歳の男女に対して行った「国際成人力調査」です。日本では国立教育政策研究所が実施機関となり、「読解力」「数的思考力」「IT活用能力」の3つについて、約11,000人を抽出し、調査員が訪問してパソコンの画面に回答を入力してもらう方法で行いました。
 文章や資料を適切に理解する「読解力」と、数学的な情報を判断し課題を解決する「数的思考力」は日本が素晴らしく高い成績でした。
読解力数的思考力IT活用能力
1日本日本スウェーデン
2フィンランドフィンランドフィンランド
3オランダベルギーオランダ
4オーストラリアオランダノルウェー
5スウェーデンスウェーデンデンマーク
6ノルウェーノルウェーオーストラリア
7エストニアデンマークカナダ
8ベルギースロバキアドイツ
9チェコチェコイギリス
10スロバキアオーストリア日本
 ちなみに韓国は、読解力12位、数的思考力16位、IT活用能力15位となっていました。
 ハンガリー出身の数学者、ピーター・フランクルさんは、読売新聞紙上で、
 「1980年代は日本の子供の学力の高さが世界的に注目された。今の社会の中心は当時教育を受けた世代で、好成績は過去の蓄積によるもの。『ゆとり教育』を受けた世代が中心になったらどうなるか。」
と語っていました。
 それを示すものとして、15歳を対象とした調査(2009年)では、
        日本  韓国
読解力     8位  2位
数的思考力   9位  4位
 と韓国が上でした。これは日本のゆとり教育と韓国の教育熱心の差が出たのではないかとの声がありました。
 
 もうひとつの調査はジュネーブの国際電気通信連合による各国の情報通信技術の発達度を比較した2012年のランキングです。()内は2011年の数字。
1 韓国(1)
2 スウェーデン(2)
3 アイスランド(4)
4 デンマーク(3)
5 フィンランド(5)
6 ノルウェー(6)
7 オランダ(7)
8 イギリス(11)
9 ルクセンブルグ(9)
10 香港(10)
12 日本(8)
 ランキングは世界157国・地域を対象に、ブロードバンド(大容量通信)の普及状況、パソコンやタブレット端末を持つ世帯数、インターネットを使える人口、携帯電話の契約数などを点数化して比較したそうです。
 ちなみに韓国はインターネットに常時接続できる世帯の割合が97%(日本は86%)に及ぶことが高評価につながったとありました。
 サムソンと日本の電機会社の差といい、ちょっとさみしい数字ですね。

さようなら打撃の神様川上哲治さん(NO.660)(平成25年11月1日)

 平成25年10月28日元ジャイアンツの監督川上哲治さんがなくなりました。享年93歳でした。
 私が初めてプロ野球を知ったのは川上選手からでした。赤バットの川上として、1948(昭和23)年ホームランを25本打ちホームラン王になりました。私が小学校6年生の時でした。
 川上選手は私が生まれた翌年の1938年に熊本工業から巨人軍に入りました。最初はピッチャーでしたが、打撃のセンスを認められて野手に変わりました。のちの王選手がそれに倣いました。
 戦争で3年間のブランクがありましたが、1958年に引退するまで、18年間巨人の不動の4番バッターでした。生涯の安打数は2351本、生涯打率は3割1分3厘でした。最初に2000本安打を達成したのは川上選手でした。
 打撃の神様といわれ、「ボールが止まって見えた」といった言葉が有名です。
 巨人の監督となってからは、14年間に11度の日本1になっています。なかでも1965年から1973年までは9連覇を達成しています。
 長嶋、王、金田などの不世出の名選手を抱えていたとはいえ、日本シリーズ9連覇はもう誰も破れない記録といえましょう。
 日本プロ野球の土台を築いた川上哲治さんは国民栄誉賞に最もふさわしい野球人と思います。

若松の欠陥交差点がやっとまともになった(NO.661)(平成25年11月1日)

 平成25年10月30日、我孫子市若松のふれあいラインと手賀沼からの道路の横断歩道と信号機がやっとまともになりました。
 若松のふれあいラインの交差点は、南からの道路と北からの道路が十字路でなく、カギ十字になっていました。約11メートルほどの差のあるカギ十字です。
 そのため南北の横断歩道は西側にしかなく、東側には横断歩道がなかったのです。
(画像のクリックで拡大表示)
 西側の南北の横断歩道です。
 東側には横断歩道はなく、KEIHOKUやケーズ電器やカスミストアなどに行く人は車用の信号を見て車道を横断していました。西側の歩行者用の信号は見えなかったのです。
(画像のクリックで拡大表示)
 若松第二自治会では、今まで何度も警察に横断歩道と信号機をつけるように要請していました。ところが警察は、この交差点は特殊な交差点なので つけられないと断っていたのです。
 警察は安全第一でなく、規則第一だったのです。
 若松の住民はKEIHOKUなどに行く時は、誰一人反対側の横断歩道を通って行く人はいませんでした。車道を横断していました。
 さらに横断歩道がロの字でなく逆コの字ですと、交差点内に車が入ってきて、信号が変わっても南北の道から、東西のふれあいラインに車が入れない事態がたびたび起きていました。
(画像のクリックで拡大表示)
 さすがの警察もこの交差点は欠陥交差点と気が付いたのでしょう。
(画像のクリックで拡大表示)
 3つ目の写真のように、10月30日から新たに歩道用の信号と横断歩道が新設されました。若松第二自治会の粘り強い陳情が実りました。
 ロの字型の交差点になりました。 そして信号の運用がかわってより安全になりました。

東北に勇気を与えた楽天の日本シリーズ優勝(NO.663)(平成25年11月1日)

 平成25年11月3日、東北楽天が巨人を3−0で破り、プロ野球日本一となりました。
 楽天は3勝2敗で迎えた前日に今年無敗の田中投手を登板させ、優勝間違いなしと言われたのですが、まさかの12安打を打たれ4−2で敗れました。
 最終戦は楽天は美馬、巨人は杉内を立てて必勝を期しました。
 結果は楽天の美馬が好投し、則本、田中とつないで、巨人を完封、巨人は打撃不振が最後まで響きました。チーム打率は楽天が.267、巨人は.182でした。
 特に阿部の不振がひどく、.091の成績でした。
 私は巨人ファンですが、今年は楽天も応援していました。9月27日のブログに「楽天優勝おめでとう」を書き、楽天を応援している理由を書いています。
 私は仙台に3年弱赴任していましたが、実は弟が単身赴任で、息子は家族で仙台に赴任しました。息子一家は東日本大震災で被災し、それを機会に東京にもどりました。孫娘は仙台の幼稚園に通い、楽天ファンになりました。
 今年は楽天が優勝して本当によかったと思います。東北の人々に大きな勇気を与えてくれました。
 今朝の新聞やテレビには東北の人々の喜びの姿が大きく取り上げられていました。東北楽天ゴールデンイーグルスは本当に「あっぱれ」です。

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