読書と映画についてお二人の方から投稿いただきました。ありがとうございました。
 あとは私の映画の思い出をまとめました。

今年読んだ本と思い出の映画       職場の後輩K氏 74歳

 下記に、今年になって5ヶ月間に私が読んだ本を時間の逆順に列挙します。
 読んだ本を手狭な家に残さないために、退職してから全部市の図書館に買って貰っています。
 お金も節約できるのに加えて、このように読書記録が図書館のサーバーに残っていて便利です。

1  漢とは何か、中華とは何か 後藤 多聞 (人文書館)
2 日本人の9割が間違える英語表現100 キャサリン・A.クラフト (ちくま新書)
3  のぼうの城 和田 竜 (小学館)
4  儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇 ケント・ギルバート (講談社+α新書)
5 嫁入り 佐伯泰英 (ハルキ文庫)
6  無私の日本人 磯田道史 (文藝春秋)
7  地球温暖化と日本−第3次報告 西岡秀三(古今書院)
8  徳川がつくった先進国日本 磯田道史 (文春文庫)
9  龍馬史 磯田道史 (文藝春秋)
10 旅立ちぬ−吉原裏同心抄 佐伯泰英 (光文社文庫)
11 しんせかい (芥川賞) 山下 澄人 (新潮社)
12 声なき蟬−空也十番勝負青春篇上 佐伯泰英 (双葉文庫)
13 日本人の叡智 磯田道史 (新潮新書)
14 声なき蟬−空也十番勝負 青春篇下 佐伯泰英 (双葉文庫)
15 歴史の愉しみ方−忍者・合戦・幕末史に学ぶ− 磯田道史 (中公新書)
16 武士の家計簿−「加賀藩御算用者」の幕末維新− 磯田道史 (新潮新書)
17 外国人が見た近世日本−日本人再発見− 磯田道史 (角川学芸出版)
18 江戸の備忘録 磯田道史 (朝日新聞出版)
19 これからの「正義」の話をしよう−いまを生き延びるための哲学− マイケル・サンデル(早川書房)
20 それをお金で買いますか−市場主義の限界− マイケル・サンデル (ハヤカワ文庫)

 いずれもお勧めできる本だと思いますが・・・
 5、10、12、14は新田さんのお勧めで読み始めた佐伯泰英で、肩が凝らず読みやすいですね。
 19、20はNHKテレビでも放映された内容で、この中では一番の推奨です。
 3も戦国時代劇の好きな人には面白いと思います。

 全部古いですが、私の思い出の映画は次の3つです。
1 「シェルブールの雨傘」 (1964年フランス) (カトリーヌ・ドヌーブ等)
2  「ラプソディー」 (1954年アメリカ) (エリザベス・テイラー等)
3  「ドクトル・ジバゴ」 (1965年米伊合作) (オマー・シャリフ等)

 1は中学の同級生、2は高校の同級生、3は家内と一緒に観た思い出懐かしの映画です。
 お笑い草ですが、1と2の同級生達とは手を握ったこともないプラトニックな関係でした。
 二人とも、私が大学を卒業する前にサッサと嫁に行ってしまいました。
 その後出会った家内に3でやっと拾って貰ったといういきさつです。

私の読書       北村尚己  75歳

 私の読書は雑読で、国内外の著者の本を乱読しています。
 その中で、特に気に入って繰り返して読んでいるのは、英国の二人の作家の本です。
 一つは、ディック・フランシスという障害競馬の元騎手で、1953年から1957年にかけてクイーンマザー(エリザベス王太后)の専属騎手を務めたこともある人です。7年前に亡くなりましたが、44冊もの本を毎年書いています。
 競馬に係る話が多いのですが、主人公の職業は様々です。殊に競馬の場面は、元騎手だけあって、生き生きとした場面描写は、自分も馬に乗っている気分にさせられます。私は全て文庫本(ハヤカワミステリー)で揃えて、2度3度と読み返しました。
 もう一つは、エリス・ピーターズという女性作家が、『修道士カドフェル』シリーズ20冊で12世紀頃のイングランドのシュールズベリーという実在する街を舞台にした物語です。NHKがBBC制作ドラマを放送し、DVDビデオで幾つか録画しました。ヘンリー1世亡き後、スティーブン王と従妹のモード王女の王位争いによる内戦を背景とした物語で、修道士カドフェルが事件解決に活躍します。当時のイングランドの国内事情が分かり面白いと思いました。
 20作が世に出され、後続作が期待されましたが、作者が亡くなってしまい、叶わないものとなりました。
 8年ほど前に英国旅行をした時に、シュールズベリーの近くまで行きました。シュールズベリーの街の外を蛇行するセバーン川の上流に架かる世界最古の鉄橋「アイアンブリッジ」を見学しました。

映画の思い出

 映画鑑賞は読書や野球観戦など同じように生涯を通しての趣味の1つとなっています。
 小学校から大学までの学生時代はかなり映画を見ましたが、サラリーマン時代は映画から遠ざかっていたように思います。たまに外国映画を見るくらいでした。退職後はよく映画を見ますが、映画館で見るよりテレビで見る方が多くなっています。テレビも放送時よりも録画して見るのが大半です。
 また好みも偏っています。例えば高倉健主演の映画は大好きですが、「任侠映画」は全く見ていません。
 そんないいかげんな映画遍歴をこの前の読書遍歴と同じように振り返ってみたいと思います。

 初めて映画を見たのはいつだろうと記憶を手繰っていますがはっきりとは思い出せません。かすかに覚えているのは、戦争中にフクちゃんの漫画映画を見たような記憶があります。また「かくて神風は吹く」という元寇の役は神風が吹いて勝ったという映画の記憶もあります。
 ネットで調べたら「フクチャンの奇襲(1942年)」「フクチャンの増産部隊(1943年)」「フクチャンの潜水艦(1944年)」が日本海軍のプロパガンダとして漫画映画化されたとありました。フクちゃんは横山隆一が描く漫画の主人公でした。
 恐らくそのどれかを見たのでしょう。
 「かくて神風は吹く」もネットには1944年に情報局国民映画として作られたとありました。太平洋戦争も神風が吹いて勝てるとした映画だったのではないでしょうか。坂東妻三郎、市川右太衛門、片岡知恵蔵、嵐寛壽郎、月形龍之介などのオールスターキャストの大作でした。
 私は1943年に小学校1年生となり、終戦の1945年は3年生でした。住んでいた愛媛県郡中町は田舎町でしたので空襲で焼けることはありませんでしたが、たぶん終戦の年には映画館はやっていなかったと思いますので、1年生か2年生の時、上の映画を見たのだと思います。

 郡中町には映画館が2つありました。戦後は映画フィルムが配給されるようになった後はすぐ上映を開始したと思います。
 戦後まず日本映画で思い出すのは、アラカンこと嵐寛壽郎主演の「鞍馬天狗シリーズ」です。当時鞍馬天狗は子供たちの英雄でした。頭巾をかぶり馬に乗った鞍馬天狗が登場すると、館内は拍手が沸き起こりました。今は映画館で拍手はありませんが、当時はいい場面になると拍手が起こったものです。鞍馬天狗の敵役はいつも新選組の近藤勇、京都の東寺の境内で2人が対決した場面を覚えています。
 アメリカ映画ではジョニー・ワイズミューラー主演の「ターザンシリーズ」が大好きでした。ワイズミューラーは1924年のパリオリンピックと1928年のアムステルダムオリンピックの水泳自由形の金メダリスト。素晴らしい肉体美のターザンがジャングルでつたを使って木から木へ飛び移るシーンに胸を躍らせました。ジェーンとチンパンジーのチーターがいつも競演していました。日本には再生紙のハンカチサイズの「チリ紙」や「オトシ紙」しかなかった時代に、チーターが木の上で「ティッシュペーパー」を箱から次々に引っ張り出すところを今でも覚えています。やはりこんな国と戦争しても勝てるわけがないと感じました。

 中学時代に見た映画で感動したのは、「わが谷は緑なりき」というアメリカ映画でした。ストーリーは全く記憶にありませんが、感動したという事と題名だけ覚えていたので、やはりネットで調べてみました。1941年の作品でジョン・フォードが監督し、最優秀作品賞、監督賞など6つの部門でアカデミー賞を獲得していました。
 ジョン・フォードはその後「幌馬車」など数多くの西部劇、や「静かなる男」「長い灰色の線」などの名作を世に送り出しました。私の好きな監督の1人となりました。

 痛快な楽しい映画としてはなんといっても西部劇です。西部劇も世の中の動きにつれて変わっていきました。
 「駅馬車」に代表されるように、私が見始めたころは白人がインデアン(この言葉も今では禁句で先住民と言わなくてはならないようです)と闘う映画でした。「赤い河」「黄色いリボン」「アパッチ砦」「リオ・グランデの砦」「騎兵隊」「捜索者」などがそうです。先住民は悪玉として描かれました。しかしその後、白人と先住民との戦いを描く西部劇は早々と姿を消しました。
 その後の西部劇は、保安官やかっこいい主人公が悪漢をやっつける筋書きのものが主流となりました。
  アラン・ラッドが扮する主人公が一宿一飯の恩義を感じてアウトローを退治する「シェーン」は一番好きな西部劇です。「シェーン! カムバック!」と叫んで少年ジョーイが去ってゆくシェーンを追っかけて行く最後の場面は涙を誘いました。
 ゲーリー・クーパー主演の「真昼の決闘」、ジョン・ウェインの「リオ・ブラボー」、バート・ランカスターの「OK牧場の決闘」なども忘れることが出来ません。これらの西部劇には素敵な音楽がついていました。シェーンの「遥かなる山の呼び声」、真昼の決闘の「ハイヌーン」、リオ・ブラボーの「皆殺しの歌」、OK牧場の決闘は同名の主題歌と、どのレコードも大ヒットしました。山田洋次監督が高倉健主演で「遥かなる山の呼び声」と題する映画を作ったくらいです。
 逆のケースもありました。黒沢明監督の「七人の侍」はユル・ブリンナー主演の「荒野の七人」となり、同監督の「用心棒」はクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」として映画化されました。
 「荒野の用心棒」はいわゆるマカロニ・ウェスタンのはしりです。1960年代から1970年代にかけてイタリア製作の西部劇が多く輸入されました。「夕陽のガンマン」「荒野の1ドル銀貨」「さすらいのガンマン」などです。私はマカロニウェスタンは「荒野の用心棒」以外はほとんど見ていません。
 ちょっと毛色の変わった西部劇を2つ覚えています。グレゴリー・ペックとチャールトンヘストン主演の「大いなる西部」は東部の男が主人公でした。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演の「明日に向かって撃て」は、アウトロー2人を描く異色の西部劇でした。「レイン・ドロップス」の音楽も軽快でした。

 早くして亡くなった忘れられない2人の俳優がいます。モンゴメリー・クリフトとジェームス・ディーンです。
 モンゴメリー・クリフトは「地上より永遠に」「陽の当たる場所」で好演しました。アカデミー賞に何度もノミネートされましたが、体調を崩したうえ交通事故で顔面を負傷し、その後心臓発作で45歳で亡くなりました。なお「陽の当たる場所」でエリザベス・テーラーを初めて見ましたが、その美しさにすっかり心を奪われてしまいました。
 ジェームス・ディーンは「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」の3本の映画に出ただけで交通事故で亡くなりました。私はそのうち最初と最後の映画を見ました。愁いを帯びたやや反抗的な役柄を見事に演じていました。

 好きな女優は数多くいますが、トップはなんといってもオードリー・ヘップバーンです。「ローマの休日」は今でもテレビで放送されるたび録画して見ています。「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」「シャレード」「マイフェアレディ」「暗くなるまで待って」など印象に残っています。
 好きな監督も数多くいますが、サスペンス映画に特化したアルフレッド・ヒチコックの作品はほとんど見ています。特に好きなのはジェームス・ステュアートとグレースケリー主演の「裏窓」です。「見知らぬ乗客」「ダイアルMを回せ」「知りすぎていた男」「泥棒成金」「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「鳥」などよく覚えています。

 シネマスコープという横が巨大サイズの映画が登場した時はショックでした。「聖衣」というタイトルのキリストに関連するスペクタル映画がシネマスコープ第1号でした。
 それ以後は大型スクリーンが当たり前になります。キリストなど歴史ものが一時大流行になりました。「ベンハー」などは大型スクリーンでなければあれほどの興奮は味わえないと思います。

 スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスなどによって「ET」、「未知との遭遇」、「スターウォーズ」などのファンタジーアドベンチャー映画が登場しました。いまやアメリカ映画の主流になっています。
 外国映画についてはもっと書きたいことがいっぱいありますが、日本映画のスペースが少なくなったのでこれくらいにします。

 少年時代に熱中したのは、中村錦之介(のち萬屋錦之介に改名)や東千代之介などが出演した痛快な剣劇映画でした。映画の題名は全く覚えていませんが、2人のかっこよさが頭に残っています。
 時代劇では、市川雷蔵が平清盛、長谷川一夫が木曽義仲、菅原健二が義経を演じた「新平家物語」の3部作に熱中しました。

 日本映画を世界のレベルにしたのは黒沢明監督です。私の見た「七人の侍」はそれを物語っています。封切り時ではなく、大分時間がたってから三流館で見たのですが、下の方に英語の字幕が入っていました。おそらく外国への輸出用のフィルムだったのではないかと思います。
 黒沢監督の「用心棒」「椿三十郎」「乱」「影武者」はわくわくしながら封切館で見ました。さすが世界の黒沢を感じさせてくれました。そして黒沢作品で主役を演じたのが、三船敏郎と仲代達也でした。仲代達也はまだ現役で今年も「海辺のリア」で元気なところを見せてくれています。

 日本人に最も愛された俳優といえば、石原裕次郎と高倉健ではないでしょうか。
 石原裕次郎は私より2歳年上ですが、いかにも早くなくなりました。裕次郎主演の映画は何本か見ましたが、「嵐を呼ぶ男」と「黒部の太陽」が印象に残っています。
 「嵐を呼ぶ男」は裕次郎が22歳の時、かっこいい男として次々と主演作品に登場していたころの代表作の1つです。
 「黒部の太陽」は裕次郎が円熟してきた33歳の時の作品です。石原プロモーションと三船プロダクションが協同制作、裕次郎と三船敏郎が共演しました。映画が封切られたころ、私が勤めていた会社のハイキングクラブで登山の帰途、黒部ダムに立ち寄り、映画で描かれたトンネルをトロリーバスで通ったことも印象を深くした理由です。
 高倉健の映画は主にテレビで見てファンになりました。任侠物は見ていませんが、それ以後の作品はほとんど見ています。ただ、劇場で見たのは「単騎、千里を走る」くらいです。

 山田洋次監督の多くの作品もテレビで見ています。「男はつらいよ」シリーズや「学校」シリーズ、「たそがれ清兵衛」などの時代劇シリーズ、その他多くの作品をテレビで楽しみました。
 大好きな監督の1人です。

 振り返ると私が劇場で見た映画は外国映画がほとんどで、日本映画はその10分の1くらいです。
 柏の高齢者の会「あけぼの会」で河崎義祐監督に映画の出前をお願いしていました。横浜の自宅から車にスクリーンや映写道具一式を積んで柏まで来てくれました。そこで見た映画は外国物もありましたが、ほとんどは古い日本の名画でした。
 これも私の映画鑑賞人生の楽しい思い出となっています。

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