あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 家田和利様が3回目の読書感想文をご投稿くださいました。今年90歳を迎えられますが、そのエネルギーには頭が下がります。ありがとうございます。
 昨年11月に箱根の秋を堪能してきました。その旅行記を載せさせていただきます。
 なお日記風の旅行記は11月下旬の手賀沼通信ブログに書いております。

ケント・ギルバート著「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」     家田和利

日本は儒教国家ではない!日本人の道徳規範は武士道・・一括りに「東アジア文化圏」と言うが中国と韓国、そして日本の文化には大きな隔たりがある。確かに日本にも儒教は伝わったが日本人は儒教の精神を上手に取り入れ乍ら、独自の文化を発達させて行った。仏教精神も取り入れ、伝統的神道等も巧く吸収し、江戸時代には倫理・道徳規範として武士道を確立させた。
 この武士道こそ、今日迄続く日本人の高い道徳規範の源泉であり、支配者層の指導理念となって居る。日本人の公の心、秩序、名誉、勇気、潔さ、惻隠の情と言った高潔な精神は、この武士道に集約されて居る。日本は、儒教の教えの良い部分丈を選んで、武士道に上手く採り入れたと言える。これは終戦迄「台湾系日本人」であり、大半の読者にとって日本人の大先輩でのある台湾の元総統、李登輝が絶賛して居る処だ。
 逆に、中国で生き残った儒教では「仁義礼智信」と言った道徳的思想が抜け落ちて了った。これには最早、偽善的な意味しか残って居ない。その為中国では、皇帝を筆頭とする支配者層から見て、庶民は単に管理する対象でしかない。韓国に至っては両班(貴族層)制度から見ても分かる様に、庶民とは搾取する対象でしかない。
 一方、日本では「仁義礼智信」と言った儒教の精神を引き継ぎ、道徳心を大切にして来た。江戸時代以降の武士道は、支配者層であった武士が自らを律する道徳規範として成立したが、庶民はそんな武士を尊敬し、憧れも抱いて居たので、やがて日本人全体の精神として、生活の中に浸透して行った。
日本が儒教に毒されなかった背景・・では、何故同じ儒教に影響され乍ら、日本が中国や韓国と違った独自の文化を生み出す事が出来たのか。一つには日本は建国以来、一度も王朝交代が起きて居ないが影響して居ると思う。即ち日本には過去に誰一人として侵した事がない「絶対的な公」つまり万世一系の「天皇・皇室」が存在すると言う事。天皇と言う圧倒的な存在に敬意を払えない日本人が居たとしたら、日本人としてまともな教育を受けなかった人か、中韓の「呪われた儒教」の様な思想に毒された人でしょう。
 加えて、元々日本人に根付いて居た行動原理の影響も大きいと思う。つまり「話し合いで物事を決める和の精神」が日本人に丈あるのです。この点に就いて作家の井沢元彦氏は次のように述べて居ます。
 外国から見て日本人の原理が分かり難いのも「わ」のせいである。「わ」は「話し合い」で纏まりさえすれば、どんな原理を採用しても良い。だから封建社会が忽ちの中に「近代社会」になったり、天皇制国家があっと言う間に「民主主義国家」になったりする。余程無原則か、軽薄に見えるだろう。併し、原則はちゃんとある。「何事も話し合いで決める(決められる)という「わ」の原理が、それである。([逆説の日本史(1)古代黎明編]小学館発行)
 聖徳太子が制定したと言われる「17条憲法」の「和を以て貴しと為す」の精神は日本民族、即ち大和民族の中に脈々と生き続けて来たのです。大和民族は古代より唯一神ではなく、八百万の神を信仰する多神教の民族です。元々「大きな和」の民族です。
 「魏志倭人伝」では「倭」と表記されるが、」この文字には「小さい」と言う貶める意味が含まれるとの説もあり、本来は「和人」でしょう。「和の国」に住む人々には、昔から海外の思想や宗教、即ち儒教や仏教を広い心で受け入れる柔軟性があった。これは日本人の中に「相手を慮る」「空気を読む」「寛容さを示す」と言った美徳として残って居る。「自分よりも他人を優先させる」と言う精神です。日本人の我慢強さや自己犠牲の精神も、ここから派生して居ます。
 先日、スーパーマーケットのレジでお客さんがお札を出し乍ら「ご免なさい、1万円札しかないわ」と謝って居るのを見て「あゝ、こう言う処は日本人らしいな」と感じました。日本以外の国で、高額の紙幣しかない時に、お客が店員に謝る習慣がある国を私は知りません。お客である自分と、店員との間に上下関係はなく、対等だと言う潜在意識も働いて居るのでしょう。これが「和」を大切にする心です。これに対して儒教国家の中国、韓国では、必ず上下関係を設定するので、対等な立場で店員に接する概念そのものが、中々理解出来ない。目上の人間からの命令は絶対ですし、「自分は金を払う客だから、絶対的に上の立場!」と横柄な態度になります。
 自己中心主義の中国、韓国には「和」の概念も希薄、日本と同じ儒教を学び乍ら、全く別の道を歩む事になったのです。

秋の箱根旅行記

 平成29年11月20日から22日まで妻と2人で秋の箱根を楽しんできました。
 私たちの旅行は旅行会社のツアーを利用することが多いのですが、妻が今年の1月でクローズする小涌園に泊まることと、秋の箱根でぜひ行きたいところに行くという目的があったため、自分たちで企画しました。
 小田急のロマンスカーが1日に1往復だけ東京メトロの北千住駅から発着します。我孫子から千代田線で北千住まで行けば、降りたホームからロマンスカーに乗り継ぐことが出来ます。時間も北千住発9時49分、北千住着16時55分と観光にぴったりなのでそれを利用しました。チケット料金は小田急の3日間箱根フリーパスに含まれています。箱根フリーパスは小田急系の8種類の乗り物に乗り放題、美術館やお土産店での料金割引サービスもついていて大変便利でした。
 箱根は松山南高校の修学旅行で十国峠に行ったのが最初です。その後は大学のゼミ旅行、家族旅行、会社の研修の手伝い、高校の卒業同窓会、友人との旅行などで10数回訪れています。ほとんどは飲み会、家族や仲間との交流、ビジネスでの研修などが主でした。今回のようにゆっくり紅葉などの自然を愛でたり美術館まわりをしたのは、2006年11月末に妻と行って以来です。

1.箱根の紅葉とススキ

 今回は箱根の美しい紅葉を十分楽しみました。
 特に2日目の21日は快晴で抜けるような秋空、太陽の光に映える紅葉は見事でした。
 箱根は出発点の箱根湯本と、今回行った最高地点の大涌谷ではかなりの高低差があります。上の方は紅葉の盛り、下の方ではちょっと早いかもという感じで、現地の人によると5分程度と言っていました。

 まず強羅公園の紅葉です。強羅公園は急斜面に作られた公園で、正門は下の道路、裏門は上の道路に面しています。紅葉は下から見上げるか、上から見下ろす感じになっていました。

強羅公園

箱根美術館
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 紅葉と五百羅漢で注目を浴びている長安寺には秋晴れの2日目に訪れました。  最近人気の出た観光スポットです。


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 2泊した「箱根ホテル小涌園」は立派な庭園があることで有名です。2日目の夕方その庭園を散策しました。小涌園の紅葉です。
 今回の旅の目的の1つは仙石原のススキの中を歩くことでした。

箱根ホテル小涌園

仙石原のススキ
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 桃源台行のバスを仙石高原で降りると一面のススキの原が広がっていました。その中を1本の道がはるか上の方まで延びていました。

2.3つの個性豊かな美術館

 箱根には多くの有名な美術館があります。それらの美術館はいくつかのバスで見て回ることが出来ます。
・箱根美術館
 ・岡田美術館
 ・成川美術館
 ・箱根ラリック美術館
 ・彫刻の森美術館
 ・ポーラ美術館
 ・箱根ガラスの森美術館
 ・星の王子様ミュージアム
 私たちはこのうち、箱根美術館、箱根ガラスの森美術館、彫刻の森美術館の3館を見て回りました。

箱根美術館
 1952年に開館した老舗美術館で、縄文時代の土器から江戸時代の陶器など日本の「やきもの」を中心に展示しています。また歌川広重の東海道五十三次などの浮世絵の展示もありました。
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箱根ガラスの森美術館


箱根ガラスの森美術館 (画像のクリックで拡大表示)
 日本初のヴェネチアン・グラス専門の美術館です。庭のクリスタルガラスの「光の回廊」やススキのオブジェがきれいでした。ちょうど「ヴェネチアン・グラス 二千年の旅展」をやっていました。

彫刻の森美術館
 広大な庭園に近・現代彫刻家の名作約120点が展示されている日本初の野外美術館です。ピカソ館はじめ5か所のギャラリーやホールがあります。

彫刻の森美術館

大涌谷
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3.まだ終わっていない大涌谷の噴火
 2015年5月、大涌谷で小規模の噴火が発生しました。ロープウェイは運転を中止しましたが、昨年7月ロープウェイが再開され、大涌谷観光が復活しました。

 11月21日に大涌谷に行きましたが、噴火警戒レベルが高くなり、帰りのロープウェイのみ乗車可能となり下山勧告が出されました。まだ噴火は終わっていないことを知りました。

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