手賀沼通信を発行し始めてからちょうど20年がたちました。年齢も81歳となりました。
 20年は長かったようでもあり、短かったようにも感じられます。
 今月はその20年間を振り返ってみたいと思います。

手賀沼通信の20年

1.手賀沼通信事始め
 手賀沼通信第1号の冒頭に次のような文章を載せました。(途中と後半かなり省略しています)

手賀沼通信事始め
「手賀沼通信」第1号をお手元にお届けします。
「手賀沼通信」は、千葉県我孫子市に在住する私こと新田良昭が取材、執筆、編集、発行する一人新聞です。
私はこの3月31日(1998年)に61歳でサラリーマンを退職しました。大学を出てから、三井生命に4年6ヶ月、日本アイ・ビー・エムに28年9ヶ月、アコムに4年9ヶ月と合計38年間会社人間でした。そして次にやることはまだ決まっていません。(中略)
「何もしないでいると、ボケるよ」とよくいわれます。(中略)
そこで「ボケ防止に情報発信を」と考えついたのが新聞発行でした。(中略)
高知県須崎市に「土佐一人新聞」を発行されている三好さんという方がおられます。この方は会社の役員でしたが、思い立って奥様と二人で都会を抜け出し、高知市に近い風光明媚な須崎市で農業を始めました。米とミカンと野菜を作り、家畜を飼い、養蜂でハチミツを生産しながら、月1回の一人新聞を発行しています。(中略)
したがってこの土佐一人新聞は、人にまねのできない「非日常的な」日常生活や、イノシシの話 ミツバチの話など興味深い体験談が出てきますが、本来の目的は鋭い切り口でいまの世の中を切りまくることに置かれています。私はこの新聞を2年半ほど前から送ってもらっており、時間ができたら自分も一人新聞を作ってみようと思っていました。(中略)
私は平成5年に社会保険労務士の資格を取りました。仕事の都合で社会保険労務士としての登録はまだしていませんが、老後の問題はこの資格に大いに関係しています。自分も老後のことを考える年齢になり、再度関連する法律や制度について勉強してみたいと考えるようになりました。
この「手賀沼通信」は、老後のことを考える材料やヒントを提供させていただくつもりです。暗い話題だけでなく、明るい話題を意識的に取り上げたいと思います。本や雑誌からの一般論でなく、なるべく自分の体験や取材を通して生の内容が出せればと思っています。
また地域との接点も探ってみたいと思います。所期の目的が達成できるどうか、ご愛読くださるようお願いいたします。(後略)

2.その後の手賀沼通信
 手賀沼通信第1号は1998(平成10)年4月1日に発行しました。最初はB5版で文字の大きさは9ポイントでした。原稿の量が多いとA4版になることもありました。各ページは囲み線で縁取りをしていました。文字が小さすぎるというご意見をいただいたので、途中から文字の大きさを10ポイントに変えました。
 今のように文字の大きさを11ポイントにして、外枠の囲み線をなくしたのは2004年4月の第73号からです。囲み線をとったのはワードのバージョンが違うとずれることがあるからです。
 発行部数は最初は70部ほど、ほとんどが紙に印刷し郵送しました。その後次第に電子メールに添付してパソコンで発信するようになりました。それとともに郵送が減りました。
 お付き合いの輪が広がっていくとともに送信先や手渡しの数も増え、一番多いときは350人ほどになりました。その後亡くなられる方が増え、メールアドレスが変わって送れなくなった方などが出てきて、今はメール添付で約260人、郵送で16人、手渡しで7人の方にお送りしています。
 手賀沼通信をホームページで読めるように掲載してくれているのは大学のゼミの後輩、北村尚己氏です。最初はゼミのHP「恒友会ホームページ」に掲載してくれていたのですが、今ではゼミのHPに掲載したファイルを送ってもらって、私の「手賀沼通信バックナンバー」「手賀沼通信バックナンバーその2」でも読めるようにしています。
 2006(平成18)年8月からは手賀沼通信ブログを書き始めました。月1回の手賀沼通信に書ききれないことがあったからです。手賀沼通信101号のころです。月に8回ほど書き、昨年の12月末で1085回になりました。

3.私の20年
 61歳からの私の20年にもいろいろなことがありました。  2003年に長男が結婚し、2005年には孫娘が生まれました。東日本大震災の時仙台にいて被災しましたが、直後に我孫子に戻ってきました。孫娘は3月に小学校を卒業します。長女の家庭では2000年に2人目の男の孫が生まれました。この3月で大学3年生と高校3年生が終わります。両家族とも我孫子に住んでいます。

 サラリ−マンをやめた年の1998年7月から、日本IBMの子会社で新入社員研修のお手伝いを始めました。日本IBM及び関連会社の新入社員教育の仕事でした。当時IBMではセールスマンやシステムズエンジニアは半年とか1年間教育するという制度になっていました。
 年中仕事があるというわけでなく、研修期間だけ幕張に通うという期間限定の仕事でした。その仕事は61歳から69歳まで9年間続きました。人を育てることは大変楽しい、やりがいのある仕事でした。70歳になったとき、70歳の老人が大学を卒業したばかりの新人を教えるのは申し訳ないと感じて身を引きました。
 63歳の2000年の10月から翌年の3月までは、三井生命とIBMの合弁会社のMLIで社員のスキルと研修についての仕事で週4日働きました。三井生命とIBMとも私の元いた会社で、しかも勤務場所が我孫子の隣の柏という恵まれた環境でした。
 62歳の1999年7月1日、柏税務署に「新田ライフプランニング」という名前で「個人事業の開業届」を提出しました。今までのささやかな経験をもとに「人材育成と高齢者の豊かな生活実現のお手伝い」を目指したものです。社会保険労務士の資格を取っていましたので、開業も考えての事でした。ところが新入社員研修のお手伝いが意外に忙しかったのと、社会保険労務士として開業してやっていくことが並大抵のことではないということに気付いたため研修に集中することに決めました。
 新田ライフプランニングも研修の仕事の終了と共に70歳の3月でおしまいとしました。

 サラリ−マンをやめてから広がったのは、人とのネットワークです。それまでは会社中心で家は寝に帰る場所でしたが、退職後は地元の人との交流を心がけました。若松自治会の役員を1年間勤め、我孫子市公民館での「社会教育ゼミ」、「男の料理教室」、留学生との交流の「国際交流協会」、近辺を歩く「ふれあい手賀沼の会」、我孫子市の「まちづくり会議」、千葉県の「生涯大学」とその卒業生の「七曜会」などに参加しました。
 現役時代からやっていた民謡の「愛友会」、高齢者の会「あけぼの会」、「東京都中推協」、「余暇研究会」、「日本中高年生きがいづくり協会」、「JLC社労士会」、「東京ハイキングクラブ」、高校の「松山南高校同窓会」、同期の「南六会」、大学の「如水会」、「如竹会」、「恒友会」などにも力を入れました。その後、中国語を学ぶ会に入ったり、グラウンドゴルフの「ゆうあい倶楽部」などにも参加しました。
 ところが今ではほとんどの会から退会したり、会そのものがなくなったりして、熱心に続けているのは民謡の「愛友会」だけです。民謡大会の終わった後や忘年会などでスナックに集まりみんなでカラオケを歌うのも楽しみのひとつです。
 ウォーキングや登山や海外旅行や国内旅行にも時間を使いました。
 ウォーキングではしまなみ海道を尾道から今治まで2回歩きました。水ウォークでは琵琶湖から大阪城まで歩いたこともあります。
 旅行は60代の最初は妻が両親の看護や介護で時間が取れなかったため、私一人でのアジアの海外旅行が主でしたが、2006年から2012年までは妻と2人でヨーロッパを中心の海外旅行と国内旅行を楽しみました。すべて妻が企画しました。その後は体調を考えて海外旅行はやめ、もっぱら国内旅行を楽しんでいます。
 この20年間に病気で3回入院しました。前立腺の肥大手術と心臓の冠動脈のステント挿入手術と大腸憩室出血のためです。現在高血圧と糖尿病と血液サラサラのクスリなど毎日7種類ほどの薬を飲んでいます。

 今まで続いているボランティアは、週1回の防犯パトロールと小学生の下校見守りです。パトロールは約14年、下校見守りは約9年続けています。介護施設で民謡を唄うボランティアもやっていましたが、体調を崩した時にやめました。
 NPO法人「ふれあい塾あびこ」が毎月開いている講演会も楽しみの1つです。毎月4〜5回参加しています。演題や講師がバラエティに富んでおり、よくこんなすばらしい講師を呼んでこられると感心しています。
 高齢になり生活がシンプルになりました。ここ数年は交通費のかからない穏やかな毎日です。日によってビール、ワイン、日本酒、焼酎などから好みのものを選んで晩酌するのが何よりの楽しみになっています。
 この20年間大過なくやってこられたのは妻のおかげと深く感謝しています。

4.変わりゆく手賀沼通信の内容
 手賀沼通信の内容も20年間でかなり変わりました。始めの1998年4月から2000年3月までの2年間の記事と、直近の2016年1月から2017年12月までの2年間の記事とを比べてみましょう。
 最初の2年間で目立つのは体験記が多いことです。「葬儀について」「初めての株主総会」「健康器具を使ってみて」「原水爆禁止のために歩く」「サントリー武蔵野ビール工場見学」「男性料理教室」「高齢者パソコン教室のお手伝い」「新入社員研修のお手伝い」「千葉地方裁判所松戸支部法廷傍聴記」「船橋市ケア・リハビリセンター見学記」「山梨県豊里村での農村との交流会」「石原都知事就任祝賀会」「ハローワーク体験記」「平成11年無料セミナーベスト2」などです。いろいろなところに顔を出してみようという好奇心がありました。そしてその体験を文章にまとめました。
 海外旅行は初めて中国に行った時の「中国の街角で」とシンガポール・マレーシアの「華人経済とイスラム文化」を載せています。
 年金については3回、老人医療については1回書いています。
 読者からの寄稿文もバラエティに富んでいて、12名の方から興味深い体験談をいただきました。

 ところがここ2年間の記事はテーマというか話題が絞られてきました。絞られたというより好奇心や行動範囲が狭くなって記事もパターン化されたと言えるのかもしれません。
 この2年間で一番目立ったのは「私の戦争体験」シリーズに20人の方から貴重な体験談が寄せられたことです。いずれもご自身で苦しい体験をされたことだけに迫力満点の文章でした。
 それに続く本と映画シリーズにも4人の方からのべ6編の文章をいただきました。
 4回の魚介類シリーズは私が書いたもので、以前のアルコールシリーズと果物シリーズに続くものです。
 国内旅行の旅行記を4回書きました。シリーズもの以外の弟のエッセイを3編載せました。
 そして手賀沼通信ブログ抜粋は8回載せました。新しい記事が書けない時の神頼みです。
 今後いつまで手賀沼通信が書き続けられるかわかりませんが、シリーズもの、旅行記(これもいつまで行けるかわかりません)、手賀沼通信ブログ抜粋、それと読者の方からいただく寄稿文を中心にして紙面を作っていきたいと考えています。

5.手賀沼通信を支えていただいた読者からの投稿
 手賀沼通信は読者の方からのご寄稿に支えられていると言っても過言ではありません。手賀沼通信第200号にそれまで文章をお寄せいただいた方のお名前とタイトルをまとめました。
 ここでは201号から240号までにご寄稿いただいた方のお名前とタイトルを紹介させていただきます。

新田慎二(自然)−弟   9編
・喜寿の茅ヶ岳山行記(第203号)
・マッサンというテレビドラマを見て(第208号)
・私に残された小銭(第209号)
・吉田メロディの時代(第213号)
・スポーツにおけるルールとは何か(猫だまし異聞)(第216号)
・戦争前後の記憶(戦争体験)(第221号)
・鬼怒川温泉の山鳥(第227号)
・わたしの自己宣告「余命5年」(第227号)
・「ローマの休日」と「旅情」と(映画)(第234号)

家田和利−元あけぼの会会長   4編
・私の昭和(私の半世紀)(戦争体験)(217号)
・家族という名のクスリ(読書)(第234号)
・肺炎がいやならのどを鍛えなさい(読書)(第235号)
・儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇(第238号)

寺井健二−元東京都中推協会長   2編
・花追い人(第206号)
・花追い人・パートU(第206号)

鎌田肇−元IBM   2編
・私の戦争体験(戦争体験)(第217号)
・今年読んだ本と思い出の映画(読書・映画)

大野耕一−元IBM      2編
・学童疎開(戦争体験)(第220号)
・ホームページづくり−私のビューティフルエージング(第235号)

宮本尊生−手賀沼通信読者   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第217号)

長島達明−大学の同級生   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第217号)

高橋史郎−大学の後輩   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第218号)

市川恭−元三井生命   1編
・ソ連軍の将校、突然の乱行(戦争体験)(第218号)

長岡靖裕−松山南高校の同級生   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第218号)

尾内理雄−元IBM   1編
・太平洋戦争にまつわる記(戦争体験)(第218号)

國安輝久−元ボランティアの先輩   1編
・陸軍予科士官学校−空襲で戦死者多数(戦争体験)(第219号)

遠藤博司−元あけぼの会の仲間   1編
・私の8月15日(戦争体験)(第219号)

田中通義−手賀沼通信読者   1編
・過ぎ去った私の青春(戦争体験)(第219号)

神間清展−元IBM   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第220号)

井後晴雄−手賀沼通信読者   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第220号)

本多一基−元東彩会会長   1編
・戦車隊とグラマン機(戦争体験)(第221号)

多田奨−手賀沼通信読者   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第221号)

武藤清志−元IBM   1編
・私の戦争体験(戦争体験)(第221号)

直井秀夫−生涯大学同級生   1編
・振り返って戦後70年を思う(戦争体験)(第222号)

大門美代松−元IBM   1編
・昭和20年8月15日は父の命日(戦争体験)(第222号)

北村尚己−大学の後輩   1編
・私の読書(読書)(第233号)

inserted by FC2 system