今月は私の旅行記と手賀沼通信ブログからの抜粋です。

日光東照宮参拝記

 平成30年3月30日、31日に妻とクラブツーリズムの1泊旅行に行ってきました。
 旅行会社は誕生月が近づくとお祝いのツアーの案内を送ってきます。今回は3月生まれの妻に送られて来たツアーで、2日目が東照宮参拝となっていたので参加することにしました。
 東照宮は昨年、陽明門や三猿などが修復され新しく生まれ変わりました。かねがね妻と新しくなった東照宮に行ってみたいと話し合っていました。いいチャンスとばかり申し込んだのです。じっくり見るには時間が足りず人が多すぎましたが、一応念願は果たせました。

 日記風の旅行記は4月3日の手賀沼通信ブログ「日光東照宮観光−1」「日光東照宮観光−2」に載せております。

1.今までの日光旅行
 はっきり覚えているわけではありませんが、今回の日光旅行は10回目くらいです。最初の日光は高校時代の修学旅行でした。愛媛県松山南高校の修学旅行は東京で、日光まで足を延ばしました。今から64年前、昭和29年(1954年)のことでした。その時東照宮参拝をしました。
 その後東照宮を訪れたのは確か1回、あとは中禅寺湖や鬼怒川温泉が主でした。従って今回の東照宮参拝は3回目となります。

2.新しくなった東照宮
 陽明門はじめ東照宮の社殿群55棟は、そのほとんどが寛永13年(1636年)に建てられました。
 その後何度かの修理を経て、今回第4期修理事業が行われました。修理の対象物を決めて平成25年6月から平成31年3月まで続きます。陽明門や三猿などは昨年修理が終わりました。鮮やかによみがえったのです。
 陽明門はいつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」とも言われます。
 私の好きな民謡「日光山唄」には 「ハアー 黄金造りのヨ あの東照宮は
 国の宝のヨ ハアー 守り神ヨ」
との一節があります。
 陽明門には故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻が施されています。
(画像のクリックで拡大表示)
 裏側(写真上右)です。陽明門は裏の方が美しいと言われます。外国人がしきりに写真を撮っていました。

 順序が逆になりましたが、陽明門に行く手前にまず大きな人だかりができていたのが、神厩舎の長押の上にある三遠でした。
 8面に16匹の猿の彫刻があり猿の一生を表しています。「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三遠は、幼年期を表したものです。
(画像のクリックで拡大表示)
 今回東照宮で並んで見物したところが3か所ありました。今は混んでいるところは並ばなければなりません。まず最初に並んだのが、名匠・左甚五郎作と伝えられる眠り猫でした。東回廊の上の方にある小さな彫刻です。
 牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」にちなんで彫られたと言われています。
 この下をくぐって奥宮に行くことが出来ます。徳川家康の墓所です。

 次に並んで進んだところが拝殿と本殿でした。拝殿の天井には100頭の龍が描かれていましたが、撮影禁止でした。参拝を済ませて出てきました。靴を脱いで上がるので、出入り口は大勢の参拝客でごった返していました。
 拝殿はこの唐門の奥になります。
(画像のクリックで拡大表示)
 最後に並んだのが輪王寺本地堂の鳴竜です。東照宮の中になぜか輪王寺のお堂がありました。ここが最高に混んでいました。中に入るまで20分くらい待たされました。
 本地堂の天井に竜の絵が描かれていて、拍子木を打つと「キーン」と冴えわたった音が鳴り響きます。まるで竜が鳴いているように聞こえるのです。

 ここを出ると他の場所に行く時間は残されていませんでした。ホテルを出たのが9時半でしたから、あと1時間早く出てほしかったとアンケートに書きました。
 輪王寺と二荒山神社は次の機会にとっておきましょう。
 新しくなった東照宮が見られたのがいい思い出となった旅でした。

手賀沼通信ブログ抜粋

年賀状は1年では止められない(NO.1087) (平成30年1月5日)

 平成30年1月4日までに私宛の年賀状を47通いただきました。妻との2人宛の年賀状は除きます。
 我が家では昨年まで3通りの年賀状を出していました。私の名前、妻の名前、妻と2人の連名の3通りです。それぞれの付き合いと、妻と共通での付き合いがあるためです。年賀状の中身も違っています。
 私の名前で出す年賀状は80歳になった今年からやめようと、昨年の年賀状に「はなはだ勝手とは存じますが、私の年賀状は今年限りでおしまいとさせていただきます」と入れて80名の方に出しました。
 それでも全員の方に徹底するとは考えられなかったので、今年は妻個人の枚数と連名での枚数に加えて15枚ほど余分に年賀はがきを購入しました。
 ところが47名の方から届いたのです。予想以上でした。おそらく昨年の私の年賀状の文章など忘れた方が出されたのではないかと思います。
 いただいた以上そのままにはできません。メールアドレスがわかっている29名の方にはメールで、いただいたお礼とやめたことを書いて送りました。
 アドレスのわからない18名の方には、妻との連名の年賀はがきか寒中見舞いに同じことを書いて返送しました。
 おそらく来年はゼロではないにしろいただく年賀状は数通に減ると思います。年賀状をやめるのは1年では済まないことがわかりました。

新しくなった高齢者の自動車免許更新(NO.1088) (平成30年1月9日)

 平成30年1月9日、我孫子警察で自動車免許の更新を申請してきました。あとは2月20から3月9日までに取りに行けば免許が手に入ります。
 高齢者講習の案内が来たとき、81歳になるのでとるのをやめようか迷いましたが、とりあえずもう1回とってみることにしました。心配なら途中で返納すればいいと思ったからです。
 昨年3月21日に施行された改正道路交通法で高齢者の免許取得がちょっとだけ変わりました。
 今まで1回で終わっていた高齢者講習(講習予備検査と高齢者講習)が、認知機能検査とその結果に応じた高齢者講習の2回に分かれたことです。したがって自動車学校に2回通うことになりました。
 認知機能検査は今までの講習予備検査と同じ内容です。
 私は今までに今回を含めて4回高齢者講習を受けました。最初は70歳の時でした。そのときは講習予備検査(認知機能検査)はなく、講師の講話、ビデオ鑑賞、適性検査、目の検査、運転実習の5つで費用は6150円でした。
 2回目は75歳の時でしたが、この時から講習予備検査(認知機能検査)が追加され,代わりに講師の講話がなくなりました。費用は6000円に下がりました。
 3回目は78歳の時で内容、費用とも2回目と同じでした。
 今回の4回目はまず10月28日に認知機能検査を受けました。内容は2回目、3回目の講習予備検査と同じでした。
 その日の年月日、曜日、時刻を書かされました。
 次に16個の絵を見せられます。そのあと数字のテストがあり、先ほど見せられた絵の名前を書かされます。数字のテストがあったので全部は覚えていませんでした。数字のテストは点数に関係せず記憶の転換を図るためのようです。次にヒントが与えられて絵の名前を書かされました。ヒントがあると思いだせました。
 そのあとは時刻を言われてそれを時計の絵に描かされました。
 49点以下は認知症の恐れあり(第1分類)、50〜74点は認知機能低下の恐れあり(第2分類)、75点以上は認知機能低下の恐れなし(第3分類)とされてその後の処理が違ってきます。
 認知機能検査は650円でした。
 私は92点で第3分類でした。第1分類と判定されると、臨時適性検査(医師の診断)を受けることになり、診断の結果認知症と判定されると免許取り消し等の対象になります。第2分類、第3分類の人は別の日に高齢者講習を受けます。
 私は1月6日に指定され、6人のメンバーが集まりました。改正道路法の説明と、最近事故の多い自転車運転の話があったあと、3人ずつに分かれて目の検査と運転の実習がありました。シミュレーション機械を使っての適性検査はなくなりました。
 2時間で費用は4650円でした。
 6人のうち2人は残されましたので、第2分類の人だったのでしょう。第2分類だと3時間、7550円で、追加の別メニューが待っています。
 私の場合、高齢者講習合計5300円と費用は安くなりましたが、2回足を運ぶのは面倒と感じました。
 高齢者が起こす事故が増えている現在、認知度合を細かく分けて講習を実施するのは仕方がないのかもしれません。
 これから身体能力は低下します、気を引き締めて運転しようと思っています。

日本三百名山一筆書きグレートトラバース(NO.1089) (平成30年1月12日)

2018年1月1日田中陽希さんが3度目のグレートトラバースに出発しました。
 1度目は2014年に深田久弥氏が選んだ日本百名山を、屋久島の宮之浦岳から利尻島の利尻岳まで人力だけで一筆書きで踏破しました。
 2度目は翌2015年に深田氏が百名山に入れなかった46座と深田クラブによって選ばれた54座を合わせた日本二百名山とされる100座を、北海道の宗谷岬を出発して九州佐多岬まで一筆書きで踏破しました。
 3度目となる今回は1978年に日本山岳会によって選定された、深田氏の百名山に200座を加えた「日本三百名山」とされる300座を、一筆書きで踏破する計画です。
 正確に言うと日本二百名山に選定されている「荒沢岳」が日本三百名山には含まれていないため、合計301座を登ります。
 総延長1万キロメートルを超える距離で、期間は約1年6か月を超えます。
 田中陽希さんは今年の1月1日に屋久島の海岸で初日の出を見た後、宮之浦岳を目指して出発しました。ゴールは百名山の時と同じ北海道利尻島の利尻岳です。
 三百名山には佐渡島の金北山も入りますので、佐渡へカヤックでわたる海路が加わります。
 田中陽希さんはホームページで今回の壮大なプロジェクトに対する思いを次のように語っています。
 「日本二百名山ひと筆書きのチャレンジのゴールで『Next Challenge』と叫んだあの日から、2年の月日が流れました。次のチャレンジを模索する中で、時間の経過と共に、過去2度のチャレンジで登ってきた山々の思い出が頭の中を駆け巡り、また登りたい山、歩きたい町が次々に溢れ出てきました。
 さらに、『日本の四季』を味わってきたと言ってきましたが、実際は「春夏秋」を主に歩き、登ってきたため、冬の山の厳しさや美しさを味わうことは未だにできていません。
 再び日本を旅の舞台とし、その集大成とするべく、これまでの200座に新たな101座の山々を加えたトータル301座の踏破を目指す『日本3百名山ひと筆書き〜Great Traverse3〜』。今、新たな旅がスタートします。」
 ホームページには今までの2回の経験から田中陽希事務局からの皆様へのお願いが出ていました。
「・田中陽希を追跡したり、所在地を調べるのはお控えください。
 事故防止のため今回の挑戦では田中陽希の現在地を公開しません。
 ・皆様が撮影した田中陽希の画像・映像などをSNSなど公共の場で転載しないでください。
 皆様の転載により現在地が特定される恐れがあります。
 ・旅の道中や山頂でのサインはご遠慮ください。
 ほんの数分の事ですが、山中では事故へつながる可能性が高くなります。
 ・田中陽希への差し入れはご遠慮ください。
 荷物の軽量化は旅においてはとても重要です。」
 確かにNHKの放送を見ていて心配な場面がいっぱいありました。山旅では時間と荷物の軽さは貴重です。
 田中陽希さんが無事に三百名山を踏破して、ゴールすることを祈っています。

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