先月に引き続き、手賀沼通信第243号の「投稿のお願い」に応じてくださったお二人の貴重なご経験をお届けいたします。ありがとうございました。

「尊(そん)」という漢字    宮本尊生 79歳

 「尊(そん)」という漢字は尊敬・尊重・尊崇など、まれには尊大とかいう例外もあるが、大体は肯定的な意味合いで使われることは、だれでも知っている。
 ところが自分の名前にこの字が使われるとなると話は変わってくる。「立派過ぎる。良すぎる。俺には似合わない・名前負けする」という思いが消えず常にくすぶりつづけ、親父が命名するにあたって、どんな思いでこの字を選択したのか、質したい訊ねてみたいと思っているうちに、別離は突然訪れた。享年48歳。私が20歳の時である。
 爾来60年近くこの疑問は未解決のまま親父の年齢をはるかに凌駕して生きてはきた。実際、「タカオ」という名は全国に数えきれないほどあると断言しても間違いはなかろう。わがサブロー会の一員である渡辺氏も「渡辺孝夫」と称される。だがこの「尊」を使っている例は少ないのだろう、あまり見かけない。新聞・雑誌等何でもよい、紙上にこの漢字を発見すると、微妙に反応する心の動きが今でもある。
 ところがどうしたことか、思わぬきっかけで越中八尾町に在住の小説家と知り合い、招待されたことがあった。今から15,6年ぐらい前のことになろうか。その彼から進呈された小説、内容は中国の戦国時代を舞台にしたものだったが、そのなかにこの「尊」が登場していたのである。
 要するに古代中国では「尊」とはアサガオ状に開いた口と膨らんだ胴それに末広がりの台をもつ、巨大な青銅製の酒器を指すというのである。ではなぜ単なる酒器を意味する「尊」が「とうとい」「とうとぶ」などの意味をもつようになったのであろうか。
 いささか、話がこみいって恐縮なのだが、「尊」というこの漢字をよくよく眺めれば、酒壺(酋)を両手(寸)でもち、神の降臨する所つまり祭壇に酒を供える情景を示し、そこから「とうとい」、「たっとい」などの意味が「尊」に付加されるようになったと、漢和辞典には説明されている。
 これを読んで破顔一笑、永年の違和感はすべて氷解した思いがしたのである。「名は体を表す」という諺がまさしく自分を指し、自分に適合しているという実感に充たされたとき、自分の名前に対するこだわりは春の淡雪のごとく消滅した。
 多分、親父は人から尊敬されるほどの男になれよと、期待を込めて「尊生」と名づけたのかもしれない。しかし、結果として「親の心子知らず」、私は酒を愛する方に廻ったようだ。これも人生の皮肉というべきだろうか。
 若いころ、酒は好きでもなくあまり飲まなかった。第一、味が分からなかった。それがどこでどう変わったか、歳とともにイケル口になり、酒席の相手を失望させることもなくなった。まさに「名は体を表す」モード全開となったのである。
 顧みてわが「サブロー会」もかなり年をとり、白髪の翁となった。落陽の身、明日のことは分からないが、来年も再会を期し
  「眼前 一杯の酒 誰か身後の名を論ぜん」(漢詩名句辞典より引用)
とやろうではないか。諸君!。
(注)身後の名とは死後のほまれも

大学の体育会系運動部「自動車部」の記憶    新田自然 80歳

 いま日大アメフット部悪質タックル事件に国中が沸いている。どのテレビをつけても、この問題で、話題は拡散し、日大の組織人事などに及び、大学の信用はかぎりなく失墜している。この問題がどのように決着するかは今後の展開に待つしかないが、私もかつて、短い期間であったが、大学の体育会系運動部である自動車部に属していたことがあり、厳しかった夏合宿を、ある種の懐かしさを伴いながら思い出している。

 昭和33年、早稲田に入学したが、あれは5月くらいだったか、大隈講堂前の広場で新入生に向けて各部の入部勧誘活動が行われていた。関心を持ったのは自動車部で「運転免許が簡単に取れる」とか「軽井沢での夏合宿は楽しい」とか言って勧められた、誘い文句はやさしく丁寧で、楽しいキャンパスライフが謳歌できるだろうと思った。昭和33年といえば、オリンピック前、まだクルマ社会には間があって、自動車はあこがれの乗り物で、時代の最先端を味わってみたかったこともある。入部に当たっては部費の外に、つなぎの作業衣や合宿費用など入部一時金が結構かかるので躊躇したが、下宿のおばさんが「出世払いで貸してあげる」と背中を押してくれたので思い切った。
 部室兼作業場は大隈講堂の裏にあった。結構広い敷地には車数台が置かれ、部品が積み上げられ、解体や整備を行っていた。部室に続く作業場には、メンバーの作業衣が数10本吊るされていて、油に汚れた状態から、どんなことをするのか予想された。運転だけを想像していたので、とても自分には無理だと辞退しようとしたが、上級生はあくまでやさしく、「ちゃんと指導するから心配しなくていいですよ」と笑顔で勧めてくれた。

 本格的な部活動は夏休みの合宿からということで予定が組まれていた。涼しい軽井沢で楽しい夏休み気分、といった甘い気分で駅頭に立った。駅前には迎えの上級生がいて、整列させられた。集合したのは男性ばかり15人ほどの新入生だった。下士官さながらの2年生は大きな声で「さあこれから合宿だ。お前たちは軽い気持ちで参加したのだろうが、合宿はそんな甘いものではない。これから地獄の訓練が始まる。これから宿舎まで走るのでついてこい」と命令調であった。荷物を持っていようがそんなものはお構いなく走り出した。3泊の合宿でそれほど重い荷物は持参していなかったので、不可能な走行ではなかったが、先輩の口調から態度まで、入部勧誘の時とはずいぶん違うなと感じた。
 合宿所は広いグランドつきの木造建物だった。5、6人くらいずつの部屋に分けられた。「直ちにグランドに集合」との命令、買ったばかりの作業衣をつけさせられ、グランドに出た。大型のトラックが数台グランドにおかれ、グランドはチョークで走行用のコースが標示されていた。全員は4、5人ずつに分けられトラックに乗り込み講習を受けた。エンジンの掛け方、ブレーキの踏み方、変速の仕方など、一通りの講習を受け、いきなりのコース実習だった。トラックは相当古い大型車で、ダブルクラッチ、運転席はずいぶん高く感じられた。そんな車だ、説明を受けたといっても、まともに運転できるわけがない。「エンスト」「わき見」「脱輪」「急ブレーキ」など、失敗ごとにコース1周の体罰が待っていた。1回のコース実習で4百メートルのグランド数回の罰則がついた。午後からの練習であったが、ほとんどの者が数10周走らされ、みんなヘトヘトになった。
 夜は新入生歓迎という飲み会があった。先輩が酒を持ってくると飲み干さねばならない。しこたま飲まされて前後不覚になって吐いた仲間もいた。
 翌日は早朝に叩き起こされた。グランドの整備、トラックの清掃などの後、おさらい講習があって、またランニングが始まり実習となる。2日目になってやっとトラックが動くようになったが、なんだかんだという理由で罰則ランニングは減らなかった。前には進むがバックが難しく、トラックの長い荷台が制御しきれずコースアウトしてしまうこともあった。運転しては罰ランの繰り返しで、くたびれ果てて思考力をなくしていた。3日目の午前中まとめの実習があって、部活動のスケジュールや心得など聞かされて夏合宿のカリキュラムが終了した。仲間はできたが親しい先輩など望むべくもなかった。
 日大と違うのは殴られるという体罰がなかったことだ。何10周もグランドを走らされはしたが、それ以上のゲンコツなどはなかった。走りながら、こんなことをするより運転実習を徹底してくれた方が何倍か効果があるのにと思った。しかし命令は絶対だった。ごまかせば2、3周はカットできたかもしれないが、思考力を半ば失った状態では、命令通り機械的に走るしかなかった。
 東京に戻ってからがひどかった。足がまともに上がらないのだ。階段などは這い上がるしかない。高田馬場駅の階段を這い上がるわけにもいかず、手すりをよじ上った。
 夏の合宿が終わってから先輩の態度が変わった。部室に入るには大声で「新田入ります」と大きな声で入室しなければならない。声が小さいと、やり直された。整備や車の運転などは一切教えてくれず、道具類の整理、整頓、清掃、など雑用ばかりなのだ。整備をしている先輩のそばで作業を眺めていると、あれを取れ、これを洗え、といった指示だけで入部に際して言った「ちゃんと指導する」とは何だったのかと思った。昔の親方と弟子の関係のように「見て覚えろ」式のやり方なのか、とにかく居心地は悪かった。秋になって退部していった仲間が数人いた。
 夏の後半には毎年行われる「全国一周早慶ラリー」が開かれた。これはメーカー支援の下、トラックに乗って日本を1周するラリーで、燃費を競い合うものであった。当時の日本の道路状態は極めて劣悪で、道幅が狭く、未舗装の道路が多く白線など全くなかった。だがそれに参加するのも入部の目的のひとつであった。ところが免許証を持たない1年生は蚊帳の外、みんな忙しそうにしているのに、何をすればよいのか分からない。そんな状態が続いた。
 当時の部は、組織としてもまだ未成熟で、現在の日大アメフトのように監督やコーチという存在はなく、学校側としての担当教授はいたらしいがほとんど部室に顔を出すことはなかった。理由はよくわからないが、現在のように公式戦がなく、勝ったといっても慶応に勝ったくらいの対外試合では、そんなものを必要としなかったのかもしれない、主将は学生で上級生がなっていた。体育会系といっても自動車部の場合、まだ当時、レース環境が整わず、車両を整備して走らせるのが中心だったようで、対外試合があって勝敗を競う一般の運動部とは違っていたのだろう。航空部、山岳部、ワンゲル部なども同じ状態だったと思われる。

 ある日部室に行ったら、所定の場所に吊るしていた作業衣がない。探していたら、なんと先輩が使っているのだ。名前を入れてあるので間違いない。それを先輩に言ったら「これは汚れていない、まともに来ないからきれいなままだ、そんな奴の作業衣は没収だ。やりたければそこに吊るしているきれいな作業衣を着ろ」と平然と言ってのけた。作業衣は下宿のおばさんからの借金で買ったものだ、無性に腹が立った。それで自動車部は辞めだと思った。体罰はそれまでよく喰らっていたので、もしビンタがあっても我慢はできたが、他人のものを召し上げて自分のものにするやり方は窃盗行為だ、足りないものは他人のもので調達するという軍隊における「員数合せ」と同じで、許せないと思った。同期の仲間に言ったら「それくらいのことで辞めるのか」と言った。そいつは卒業までいたが「おい新田よ、時代は変わったな、今の奴らに「○○入ります」なんて命令できなくなったよ」と言っていた。たった4年の間に時代が変わったのかと思った。

 免許を取らないままの退部であったが、合宿のお陰もあって簡単に免許を取得することができたし、下宿のおばさんには退部の経緯を話し、その後埋め合わせをすることで勘弁いただいた。しかしこの経験は、短期間ではあったが、まあよかったと思っている。グランドの罰ランがなかったら、自動車部の記憶はおぼろげなものとなっていただろう。
 余談だが、免許を取ったといったら、近くにいた叔父が買った車を通学に使っていい、と許可してくれ、しばらくの間だったが、自由に車を使うことができた。オリンピック前の東京は、まだクルマが自由に乗れ、どこにでも駐車ができるいい時代だった。

 退部して「広告研究会」に入会した。もちろん体育会系ではなく文系、その頃の時代の先端を行くクラブで、気分としては戦中からすっ飛んで数年先の、別次元のクラブに入った気がした。会の運営は民主的で、自由にものが言え、討論し、研究し、発表し合った。生涯の友を得ることもでき、ここでの体験は今の自分を形成するのに大いに役だった。
 それにしても、体育会系の運動部であった自動車部は、私がいた4年間で変化していたようだったが、日大のアメフト部は変わらないまま今に来ているのだろうか。
 アメフトや駅伝、ラグビー、サッカー、柔道、など特定の人気種目が、校名を広げるための広告塔として大学経営に関与させられている現在、学生スポーツの本来の目的から外れ、勝利至上主義が幅を利かせ、クラブ活動に携わる全員が、そういったものにせかされているように思えてならない。
 いま、自動車部はどうなっているのだろうか、あの厳しかった合宿は続いているのだろうか、日大騒動は、ふとこんなことを思い出させてくれた。(2018・6・5)

手賀沼通信ブログ抜粋

母親、父親になってほしい人ランキング(NO.1122)(平成30年5月2日)

 5月13日は母の日です。平成30年5月2日の読売新聞に日本生命保険がアンケートで「母になってほしい人」を調査した結果が出ていました。
 アンケートは今年3月にインターネットで契約者1万人に実施したものです。
母になってほしい人
1位 吉永小百合
2位 八千草薫
3位 天海祐希
4位 竹下景子
5位 山口百恵
6位 黒木瞳
7位 木村佳乃
8位 草笛光子
9位 樹木希林
10位 松嶋菜々子

 同じ日本生命が今年5月に父の日にちなんで調査した「父親にしたい有名人は誰ですか」というアンケート結果です。(ブログを書いたときは2015年の調査結果でしたが、6月の読売新聞に載ったものに入れ替えました)
父親にしたい有名人
1位 池上彰
2位 所ジョージ
3位 三浦友和
4位 明石家さんま
5位 タモリ
6位 イチロー
7位 関根勤
8位 加山雄三
9位 王貞治
10位 高橋秀樹

理想の上司ランキング(NO.1124)(平成30年5月4日)

 明治安田生命による2018年理想の上司のアンケートです。春から新入社員となる1100名(男女550名ずつ、平均年齢22.8歳)が回答しました。
理想の上司(男性編)
1位 内村光良
2位 松岡修造
3位 タモリ
4位 池上彰
4位 林修
6位 明石家さんま
7位 所ジョージ
8位 イチロー
9位 長谷部誠
9位 大泉洋
9位 桝太一
9位 羽生善治
 1位の内村光良と9位の桝太一は全く知らない人でした。ネットで調べたら内村は人気のお笑いタレントでテレビのバラエティ番組で活躍しているようです。桝太一は日本テレビの人気アナウンサーで2011年から5年間「好きな男性アナウンサー」の1位に選ばれたそうです。理想の父親のランキングと重なる人が5人もいます。
理想の上司(女性編)
1位 水ト麻美
2位 天海祐希
3位 吉田沙保理
4位 有働由美子
5位 石田ゆり子
6位 深田恭子
7位 いとうあさこ
8位 イモトアヤコ
8位 渡辺直美
8位 夏目三久
8位 黒柳徹子
 こちらは4名しか知りません。世相に遅れていることを痛感しました。1位は日本テレビのアナウンサーとのことです。

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