あけましておめでとうございます

 昨年は台風やら豪雨やら地震やらが日本を襲い、日本はまさに災害列島でした。
 今年こそ無事に過ごしたいと念じています。

 私も昨年10月に災害ともいえる病気に見舞われ13日間入院しました。この病気はちょうど2年前の10月にもかかって入院しています。
 2回の入院をブログに書いていますのでご紹介いたします。
 250号の記念号、しかもお正月号にはふさわしくないかもしれませんが、これも高齢者に多い病気と聞きましたので、何らかのご参考になればと思っています。
 実は今月号は昨年10月14日から3泊4日で高野山、熊野、伊勢を巡るツアーに行き、その旅行記を載せる予定でしたが、10月7日に入院したため旅行は中止せざるを得ませんでした。

大腸憩室出血での入院記

名戸ヶ谷あびこ病院入院記−その1(NO.956)(平成28年10月22日)

 平成28年10月8日から18日まで病気のため名戸ヶ谷あびこ病院に入院しました。その記録を2回に分けてまとめました。
 10月8日の深夜2時トイレに行ったところ、便器が真っ赤になりました。肛門から出血したのです。どこにも痛みはありません。そんな経験は初めてでした。特に胃腸や痔の持病もありません。
 その後午前5時ころまでに便意を催して3回トイレに通ったところやはり出血が続きました。
 不安になり妻の勧めもあって、119番に電話し相談して救急車を呼びました。
 身体は普通に動けるので救急車が来るまでの間に、服を着替え、近くの病院の診察券や保険証、携帯電話、その他思い当たるものを持ちました。妻もお金など急いで用意したようです。
 救急車は数分でやってきました。
 実は7日の午後3時ころ我孫子駅の階段で足を滑らして転び、したたかお尻と腰を打っていました。私はそれが出血に関係あるのではないかと考えました。
 救急隊員には転んだこと、何度も出血したことを伝えました。できれば一番近くにある名戸ヶ谷あびこ病院に行ってほしいと伝えました。救急隊員は病院に電話し受け入れてくれることになりました。病院までは数分でつきました。名戸ヶ谷あびこ病院は歩いても10分のところにあります。
 救急病棟で病院服に着替え、腹部のレントゲンとCTをとってもらいました。
 それから朝9時ころまで点滴をしながら医師の診断を待つことになりました。救急隊員や病院の看護師が急な医師の診断は不要としたのか、あるいは担当医がいなかったのかわかりません。
 外科医師の診断の結果、病名は「大腸憩室出血」、約2週間の入院が必要ということになりました。転んだことには関係はないとのことでした。
 病室のベッドが空くまで処置室で点滴をしながら待ちました。11時ころ4階の410号室に移りました。4人部屋の窓側の部屋でした。
 妻は入院時に用意するものを取りに家に帰り、午後持ってきました。朝あわてて家を出たので、いろいろやることもあったようです。
 出血は1日目は家と病院で合計15回ありました。出血は入院2日目の朝の1回で止まりました。
 1日目の点滴は夜9時半まで続きました。
 点滴は出血止めが入っているものと栄養剤との2種類でした。4日間は2袋ずつの4袋、5日目は栄養剤だけ2袋、6日目は1袋、7日目から点滴なしになりました。ただ10日目は内視鏡検査だったので2袋の点滴がありました。
 点滴は痛みはありませんが、腕に注射針が刺さっている感覚と、行動するときは袋をぶら下げた支柱を持って動くため、わずらわしいことこれ以上なしです。
 入院期間は2週間の予定でしたが、内視鏡検査の結果11日間で済みました。手術はなく、点滴が治療でした。
 「大腸憩室出血」の原因は高齢化で大腸の中に憩室ができます。老化により腸の壁がたるんでくるためです。憩室に内容物がたまり、内容物の水分が吸収されて固くなると周囲の血管を傷つけて出血がおこるようです。
 私は心臓ステントで血液をサラサラにするバイアスピリンを飲んでいますが、飲んでいない人と比べるとこの病気にかかりやすいと言われました。再発の可能性もあるとのことでした。
 今後、食べ物や飲み物の制限はありませんが、食べ過ぎ飲みすぎはよくないとのことです。繊維質のものを食べて便秘を防ぐことが効果があるようです。
 10日目の内視鏡検査の結果11日目の10月18日に退院できました。我が家に戻り、改めて我が家の良さがわかりました。

名戸ヶ谷あびこ病院入院記−その2(NO.957)(平成28年10月24日)

 前回の続きです。入院の顛末は前回書いたので、今回は入院生活のあれこれです。
 1日目はあわただしく過ぎましたが、2日目から決まりきった入院生活になりました。
 入院生活の流れは次の通りです。
・6:00 起床 採血(数日に1回)
・7:00 看護師によるモーニングケア 血糖チェック
・7:30 朝食
・9:00 ケア(体拭き)
・10:00 医師による回診(3人の医師が交代で)
・11:00 血糖チェック 血圧測定
・12:30 昼食
・16:00 血糖チェック
・18:30 夕食
・21:00 消灯
 私の場合は最初の6日間と最後の1日間は点滴がありました。
 4日目からは食事が出ましたが、1分粥、3分粥、5部粥と続き、まともな食事を食べられたのは退院前日の夕食と当日の朝食だけでした。
 入院中にエコー検査(腹部と心臓)と内視鏡検査(大腸)がありました。
 洗面所で2回頭を洗い、点滴がなくなったあとは7階の展望風呂で3日間シャワーを浴びました。展望風呂は眼下に手賀沼が広がり、空が澄んでいるときは富士山が望める素晴らしいお風呂です。お湯につかるのは禁止で、シャワーだけでしたが気分爽快になりました。
 名戸ヶ谷あびこ病院は平成24年12月にオープンした新しい病院です。私は過去3つの病院に入院したことがありますが、ここは設備、施設が新しく一番快適に過ごせた病院でした。
 今回の入院は手術はありません。治療といえば点滴だけです。
 点滴がなくなると時間を持て余します。テレビと読書と新聞で時間を過ごしました。テレビは専用のカードを購入し、イヤホンで聞きます。
 妻は1日だけ休みましたが、あとは毎日来てくれました。妻の顔を見るとホッとしました。
 お見舞いも楽しみでした。長男一家や長女夫妻が時々顔を出してくれました。民謡の仲間がご夫婦が2組とおひとりとあわせて3回来てくれました。申し訳ないことでした。
 外との連絡はデイルームから携帯を使いました。過去3回の入院は公衆電話を利用しましたが、今は公衆電話はありません。時代が変わったことを改めて感じました。
 病気が回復したこと、入院生活を無事に送れたことについて、病院の先生や看護師やその他病院のスタッフに心からありがとうと申しあげたいと思います。
 そして何よりも妻に感謝感謝です。

2回目の名戸ヶ谷あびこ病院入院−1(NO.1176)(平成30年10月22日)

 平成30年10月7日大腸憩室出血で名戸ヶ谷あびこ病院に入院しました。
 平成28年10月8日に入院してからちょうど2年後に再発しました。
 前回は2度に分けて「名戸ヶ谷あびこ病院入院記」をブログに書きました。今回は前回の入院記とだぶらないよう、日ごとにまとめてみます。やはり2回です。
10月7日(1日目)
 午後3時ころトイレに行ったところ便器が血で赤く染まっていました。前回の経験から大腸憩室出血に間違いないと判断し、名戸ヶ谷あびこ病院に電話しました。
 連休初日の日曜日でしたが、救急車でなく自分で来られたら来てほしい、当番医が対応するとのことでした。妻は柏に出かけていたので電話で呼び出し、いそいで帰ってもらいました。
 妻が戻るまでに、入院に間違いないと考え必要なものをそろえました。この病気は痛みがないので動けます。ただその間にもトイレに4回通い出血が続きました。
 16時30分に病院に到着、日曜日で自己来院のため、待合所でかなり待たされました。その間もトイレで出血、呼ばれた後は血液検査、尿検査、CT、レントゲンと検査が続き、約1週間の入院が宣告されました。前回は11日間でしたので、ちょっとホッとしました。
 610号室に入りました。妻は8時過ぎまでいてくれました。結局この日は10回トイレで出血しました。出血止めの点滴が翌朝まで続きました。

10月8日(2日目)
 入院以後出血止めの点滴が続きました。出血は朝と夕方。食事は出ません。妻と娘夫婦がお見舞いに来てくれました。

10月9日(3日目)
 連続して点滴。出血止めの点滴は2本までしか連続できないので、間に栄養剤の点滴が入ります。食事は出ません。
 連休があけたのでクラブツーリズムに予約していた14日からの3泊4日のツアーをキャンセル、1週間前なのでキャンセル料をとられました。妻に市役所に行き高額医療限度額認定書をとってきてもらいました。

10月10日(4日目)
 昨日から出血が止まったので昼食から10%のおかゆの食事が出ました。夜の点滴もなくなりました。点滴がなくなるとホッとします。
 入院以来時間を持て余して、テレビと読書で過ごしました。退院するまでテレビカードは6枚使いました。入院中大半は午前中はメジャーリーグの野球、夜は日本のクライマックスシリーズです。

10月11日(5日目)
 夜中に出血。朝は3分がゆでしたが、出血のため昼食から食事がなくなり、オールナイトの点滴が復活です。出血のため1周間で退院できる望みはなくなりました。

2回目の名戸ヶ谷あびこ病院入院−2(NO.1177)(平成30年10月23日)

10月12日(6日目)

 朝、多少出血、夜中も含め1日中点滴が続き、食事はありません。
 入院後普段飲んでいる薬をチェックされ、血液サラサラの薬バイアスピリンは禁止となりました。前回の入院で禁止だったため初日から飲んではいませんでした。毎夜デパス(またはエチゾラム)を2錠飲みました。これがないとよく眠れないからです。私の持参した薬がなくなると、病院で処方されました。

10月13日(7日目)

 朝の出血は止まりました。昼食から10%のおかゆが復活しました。
 6階から4階の410号室に引っ越し、くしくも2年前に入院した同じ部屋の同じ窓側のベッドでした。4人部屋です。
 娘が来てくれました。13日間の入院中妻はほぼ毎日来てくれました。感謝感謝です。夜の点滴がなくなりました。

10月14日(8日目)

 昼食から3分がゆになりました。息子夫婦が妻と一緒に見舞いに来てくれました。1本当たりの点滴のスピードが速くなりました。3時間くらいです。夜の点滴がないと1日3本です。
 巨人ヤクルト戦で巨人の菅野がCSで初めてのノーヒットノーランを達成したので少しの間病院生活の憂さを忘れました。

10月15日(9日目)

 出血なしが3日続き、もう出血は止まったと確信しました。日中の点滴3本。

10月16日(10日目)

 点滴1本。これで点滴はすべて終わりました。10日間続きました。左腕から点滴の針を抜きすっきりしました。解放感いっぱいです。

10月17日(11日目)

 明後日の退院が決まりました。洗面室で頭を洗いました。2回目です。5分がゆになりました。

10月18日(12日目)

 本日の大学同窓会と来週の元の会社の同期会に欠席を電話連絡。民謡愛友会の関係者に20日の我孫子市民謡文化祭の世話役交代を依頼、出演は可能と電話しました。
 午後愛友会会長がお見舞いに来院。退院直前なのに申し訳ない気持ちでした。

10月19日(13日目)

 朝食にやっと100%のおかゆが出ました。再再発を防ぐための注意点を回診の先生に聞きましたが、絶対的な方法はないようです。食事に気を付けること、便秘しないこと、お酒は半分にすることと言われました。再発の可能性は消えません。もう旅行は無理かもしれません。
 妻は所用のため娘が車で迎えに来てくれました。名戸ヶ谷病院の先生、看護師、その他のスタッフの方ありがとうございました。また、妻をはじめ家族のありがたさを改めて感じました。
 家に戻り、ゆっくり昼食と夕食を取り、13日目のお風呂に入り、我が家での普通の生活を楽し

老いと向き合う

 入院生活では時間がたっぷりありました。この病気は痛みはありません。体を動かすのはトイレに通うくらいです。時間をつぶすのはテレビを見るか本を読むかあとはベッドに横たわってぼけっとするかです。
 そのぼけっとする時間にいろいろ考えました。

1.81年を振り返る

 幼稚園のころから今までの事を振り返ってみました。いろいろなことが思い出されました。
 まず思い出したのは今迄に会った素晴らしい人々との出会いでした。
 妻との出会いが一番なのは言うまでもありません。次に大学時代に友人から紹介されて下宿することになった「下宿のおばさん」堀さんとの出会いが忘れられないものとなりました。私の家族、弟夫婦を含めて堀さんとのおつきあいは、堀さんが亡くなるまで続きました。
 高校時代からの友人T君との交流も貴重で、これも弟も含めて今でも続いています。
 その他いろんなところでの多くの人々との出会いが、私の人生を豊かにしてくれました。
 一方悲しい別れも数多くありました。肉親や親戚との別れ、友人との別れ、上司や朋輩との別れ、愛犬との別れなどが胸をよぎりました。
 また、あの時こうすればよかったなどの自責の念も数々思い出されました。

2.これからどう生きるか

 残されたそんなに長くない時間をどう過ごすかも考えました。
 家族との生活が残された時間のほとんどを占めるでしょう。妻との共通の趣味の第一は旅行ですが、こんな病気を持つともう無理かなと考えています。今回もこの病気が予約していた旅行中に再発していたら、妻は無論のこと、添乗員やツアーの仲間にも多大の迷惑をかけたことを思うと、行く前でよかったと思いました。
 でも妻に旅行をあきらめさせるのは気の毒です。家族や友人と行ってほしいと願っています。
 私自身は、静かにシンプルな生活を送ろうと思っています。

3.死を考える

 私は心臓の病気と高血圧と軽い糖尿病を抱えています。今のところガンは見つかっていません。
おそらく心臓か脳の病気で死ぬだろうと予想しています。
尊厳死協会に入会して、延命治療はしないよう書き残しています。
 なりたくないのは認知症です。死ぬまでおいしいものを食べ、お酒を楽しみ、家族や友人と楽しい時間を過ごし、コロッと死ぬ、それが理想です。
妻より先に逝きたいと願っていますが、これは自然に任せるしかありません。

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